ちいさな客観と、ちいさなユーモアと。
あたまに「こ」の付くことばがある。
小ずるいとか、小生意気だとか、小利口だとか、小ざかしいとか、小馬鹿にするとか小商いとか。つまり、小石や小雨や小一時間のように、量やおおきさを表した「小」ではなく、対象を軽んじたり軽蔑したりのニュアンスが混じった「小」である。
これはじわじわと嫌なことばで、たとえば「生意気な口を利くな」と言われるよりも、「小生意気な口を利くな」と言われたほうが、なんとなく人間性を削ってくる感覚がある。馬鹿にされるより小馬鹿にされるほうが嫌だし、ずるいとなじられるより小ずるいと噂されるほうが嫌だ。
で、思った。
いまの自分が置かれている状況、これは「小忙しい」のではないか。激務というわけではない。不眠不休の締切地獄、というわけではない。遅くとも終電前には帰っているし、週末はだいたい休めている。しかしながら、細々とした「やること」「やらなきゃならんこと」が多い。あれもこれもと意識が散らばって、なかなか本業であるところの新刊執筆に集中できない。じわじわと、嫌だ。この真綿で首を絞めるような忙しさ、その嫌らしい感じを、どう表現すればいいのか。
小忙しい、である。
「ドタバタと忙しい」みたいな言い方をするより、自分の情けなさ、キャパシティの狭さ、あるいはこころのゆとりのなさ、みたいなものが「小忙しい」にはうまく詰まっている気がする。そして自分の状況を「小忙しい」と語ることで、ある種の客観を手に入れることができそうな気もする。
うん。「ちょっと最近、小忙しいんですよね〜」というのは口にしても、なかなか味わい深いことばだ。カラッと笑って「小商いで小忙しいんですよね〜」とか言ってくれる人がいたら、好きになるかもしれない。
今後ほんとに使うと思います、「小忙しい」は。