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あたかも学校の延長のように。

読まれる文章には、発見がある。

読みながら、「へえぇ」とか「なるほど」とか「そうだったのか」と思えるような文章。それが発見のある文章だ。だれでも知っているような話や、あるいは逆に「知らんがな」としか言いようのない私情がとろとろに吐露されていても、なかなか読む気になれない。読者は驚きを、発見を、なにかしらのエンターテインを求めて、文章を読んでいる。

しかしながらこれを、情報レベルでの発見のことだと思ってはいけない。なぜって、読者にとってなにが既知の情報で、なにが未知の情報であるかなんて、書き手には知りようがないのだ。「これは世紀の大発見だ!」と思って書いた話が、ほとんどの人にとっては「いまさらなにを騒いでいるのだ」ほどの常識にすぎない可能性はいくらでもありえるわけで、みずからの無知、あるいは不知に自覚的であればあるほど、情報の取り扱いには慎重になっていく。

じゃあどうすればいいのかというと、やりようはふたつある。

ひとつは、いったん読者のことを横に置いて、「自分にとっての大発見」を書く道だ。もしかしたら世間では、こんなの常識なのかもしれない。専門家のあいだでは、基礎のキソといえる話なのかもしれない。けれども自分は驚いた。目の前がパーッと開けるような快感が、たしかにあった。この無知なるぼくの感動をみんなわかってくれ。そしてぼくと同じくそれをまだ知らなかったあなた、一緒に驚いてくれ。世界はこんななんだぞ。……というテンションとともに、自分がそれを発見するに至った道のりを正確に書いていくのである。

自分が驚いていれば、当然その文章には熱がこもる。うまいことを言おうとか、的確に分析しようとかいう欲より先に、対象を心底おもしろがっている自分が文章に伝染る。読者にとっての発見ではなく、自分にとっての発見を素直に書いていく。それだけで文章はおもしろくなるのだ。


そしてもうひとつには、発見ではなく「発明」をめざす、という道がある。たとえば世界初のインスタントラーメンとして知られる、チキンラーメン。すばらしい発明品だ。しかしあのラーメンを食べて「わあ、鶏肉の味だあ」と感じる人は、いたとしても少数派だろう。味を素直に表現するなら醤油コンソメ味。その名に敬意を表して言い添えたとしても、チキンコンソメ味のラーメンである。あんな味の中華そばなど中華飯店には存在せず、さらには「チキン」の「ラーメン」と言われてもどんな味なのか想像しづらい。

このあたりの謎について公式には、「鶏ガラの中華そばをつくりたかった」「スープの味に関してはなんとしても鶏ガラにしたかった」的な誕生秘話が語られている。しかしながらそれだと、もっと醤油ラーメン然とした味つけがなされるべきだし、たとえば「鶏ガラ中華そば」くらいのネーミングにするべきだろう。チキンラーメン誕生以前にはラーメンの語は一般的でなく、支那そばや中華そばと呼ばれていたらしいし。

でも、でもでもでも。あのチキンラーメンがつくり出す、和風とも洋風とも中華風とも言えない独特な味。あれと「チキン」の名を絡めて考えていたある日、ぼくは気がついたのだ。

もしかしたらこれって「フライドチキン味」じゃないのかと。

そうだよ、和食でも洋食でも中華でもない、鶏の唐揚げ。つまりはフライドチキン。あの味は完全にチキンラーメンだ。いや、チキンラーメンは完全に鶏の唐揚げ味だ。その説明だったら、そこからのネーミングだったら、心底納得できるぞおれは。

……というように、謎や疑問や気になることについて自分なりに考えをめぐらせて「こういうことかもしれない!」と仮説を立てること。すなわち答えを「発明」すること。そうすればへたな発見(たとえばネットに転がっているようなチキンラーメン誕生秘話)を盛り込んだ文章よりもずっとおもしろい読みものになる可能性が生まれる。


発見と発明。

これは主題にかぎった話ではなく、たとえば発見をともなう新鮮な比喩であったり、発明に近いオノマトペであったり、表現レベルでの発見や発明も当然ありえる。そして読者としての自分がおもしろく読んでいる文章にはかならず、発見や発明が含まれているのである。

ぼくが若いライターさんに「もっと考えよう」とアドバイスするとき、それは「自分なりの発見や発明にたどり着くまで考えよう」と言っているのだ。考えるって、そういうことだよね?


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元日から能登半島を中心とするおおきな地震が起き、いまなお余震が続いている。きのうは羽田空港で飛行機事故が発生した。なにもかもが突然だ。悲しみのなかにいる方々のことを思うと、筆が止まる。

そういう新年を迎えるとは思いもしない昨年末、「バトンズの学校」受講生が開く忘年会に参加した際、場と酒の勢いで「みんなで同じ日に同じテーマのnoteを書こう!」と盛り上がり、テーブルに鶏の照り焼きが置かれていたというだけの理由から文中に「チキン」の3文字を入れることをルールとしつつ、1月3日にnoteを書く約束を交わしていた(本日のnoteが「バトンズの学校」の授業の延長みたいな内容になったのも、そういうわけだったりする)。

さて、学校のみんなはどんなチキン話を書いているのだろうか。そこに発見や発明はあるのだろうか。参加メンバーはハッシュタグ「#バトンズの学校同窓会」をつけて本日中に投稿するはずなので、もし興味のある方がいれば覗いてみてほしい。

いまのところこのハッシュタグ、ぼくが一番乗りみたいだ。