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「ほめられること」よりも大切なもの

ひとは一生「わたし」と付き合う。

知人・友人であれば、気に食わない相手と二度と会わないこともできる。場合によっては血のつながった家族であっても、絶縁することは可能だ。

けれども「わたし」という相手だけは、絶縁がかなわず、一生付き合っていくしかない。いったいどうすれば、「わたし」という生涯の伴侶を好きになれるのか。どうすれば、「わたし」への嫌悪感を払拭できるのか。これは、多くのひとが思っている以上にむずかしい問題だ。

「わたし」を好きになりたい。
「わたし」を価値あるものと実感したい。
「わたし」は無価値だと思いたくない。

このとき、ぼくらのこころには、承認欲求と呼ばれる欲望が芽生える。他者から認めてもらうこと。あのひとにほめられること。みんなに一目置かれ、ちやほやされること。それによって「わたし」の価値を実感し、「わたし」を好きになろうとするのだ。

けれどもそれではダメだ、と喝破したのが、アルフレッド・アドラーだった。

自らの価値を実感したいなら、「わたし」を好きになりたいなら、他者からの承認を求めてはいけない。承認欲求にとらわれると、けっきょく他者の希望に沿った「わたし」を演じることになり、他者の人生を生きることになる。あなたは自分自身の人生を歩みながら、なおかつ自分を好きになっていかなければならない。

そこでアドラーが提示したのが、「貢献感」というキーワードだった。

自分は誰かに貢献できている、という主観的な感覚を持つこと。実際に貢献できているかどうかにかかわらず(それは確かめようのないことなので)、ただ自分が「わたしは役に立っている」と思えるような生き方を選ぶこと。それによってしか、「わたし」の価値を実感することはできない。


ようするにこれは、「ほめられる生き方」ではなく、「よろこばれる生き方」をめざせ、ということなのだろう。

わたしは誰かに「よろこばれること」を考えているか。「ほめられること」ばかりを考えて、肝心の「よろこばれること」をおろそかにしていないか。


そうだなあ。ぼくも、ほめられる仕事より、よろこばれる仕事がしたいなあ。似ているようでいて、ぜんぜん違うもの、このふたつは。