『さみしい夜にはペンを持て』刊行のおしらせ。
7月18日(火)、あたらしい本が世に出ます。
タイトルは『さみしい夜にはペンを持て』。ぼくにとってはじめての、中学生に向けた本です。どんな本なのか、どういう意味のタイトルなのか、なぜ中学生に向けてつくったのか。お話ししたいことはたくさんあります。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。
どんな本なのか
本が好きな人ならだれでも、本によって救われた経験があると思います。
ひどく落ち込んでいたとき、あの本に救われた。あの作者の、あのことばが生きる光を与えてくれた。あのときの経験があったおかげで、いまも本を読んでいる。本を、すこし特別なものとして、こころの大切な場所に置いている——。ぼくだってそうです。どん底から救ってもらえた本は、何冊となくあります。
ところが、自分のこれまでを注意深くふり返ってみたとき、ぼくは読むこと以上に「書くこと」によって、救われてきた気がするのです。
書くといっても、仕事として書いてきた原稿のことではありません。
ただ、自分の思いを書く。紙のノート、SNS、ブログ、スマホのメモ機能。なんでもいいし、どこでもいいから書く。「作品」でも「商品」でもなく、作文や読書感想文でもなく、つまりだれかにほめてもらうためのものではなく、もっと個人的なものとして、ひっそりと書く。
そんな「自分をことばにすること」のくり返しが、ぼくのせわしない毎日に考える時間をもたらし、つまりは自問と自答の機会をもたらし、わずかながらの落ち着きを取り戻させてきたのではないかと思っています。
とくにぼくの場合、会社をつくった2015年からずっと、ここで noteを書き続けてきました。その数は2000本を超え、「自分をことばにすること」は、すっかり生活の一部になっています。そりゃあ、人間だもの。書くのを面倒くさく感じることは、たびたびあります。「もういいだろう」「いっそ辞めよう」のタイミングは、何度となくありました。
でも、書き続けている。
日記のように、続けている。
書いてきたおかげで、「いまの自分」がいる。
もしもあのとき(2015年1月)、書かない毎日を選んでいたなら、また途中で書くのを辞めてしまっていたなら。いまごろぜんぜん違った自分が、ここにいたでしょう。続けてよかったと、こころから思います。続けてわかったことが、たくさんあります。
書けば「いいこと」があるよ、とは言えません。
——魔法の話をしているわけではないのですから。
書くのは「たのしい」んだよ、とも言えません。
——面倒くさくて投げ出したい日だって多いのですから。
ただし、
書くのは「おもしろい」んだよ、だったら言えそうな気がします。
——たのしいというより、おもしろいのです。
書き続けたら「おもしろい」んだよ、だったら断言したってかまいません。
——日記のように書き続けることが、おもしろくさせるのです。
書こう。
自分をことばに、していこう。
休んでもいい、つまずいてもいいから、続けてみよう。
だれの目も気にせず、日記のように続けてみよう。
それを書いた「あのときの自分」が、きっといつか「いまの自分」を救ってくれるのだから。
そんな思いを込めて、この本をつくりました。これは作文やレポート、読書感想文を上手に書くための本ではありません。書くことを通じて自分と対話し、自分を受け入れ、みずからの生を肯定していく本です。
どうして中学生なのか
前作『取材・執筆・推敲』は、主に若いライターさんや編集者さんに向けて書いた本でした。「いやいや、ライターなんて何人いると思ってんの?」「そんなマニアックな本、売れるわけないじゃん」。たとえそう言われたとしても、あのタイミングで書いておきたい本でした。
刊行後、幾人かの編集者さんからあたらしい企画をご提案いただきました。それぞれにめざす方向は違えども、通底するテーマは「文章の書きかた」。かぎられたライターに向けてではなく、もっとたくさんの人たちにあなたの「書きかた」や「考えかた」を届けましょう。そんなビジネス書寄りの企画です。
実際、真剣に検討した企画もありました。しかし、企画を動かしはじめる段になって、どうにも手が止まります。自分はほんとうに「これ」を書きたいのだろうかと、頭を抱えます。
ビジネス書とは、なにかの役に立つ本です。言いかたを変えるなら「効能」のある本です。この本を読めばこうなる。こんなところで役に立つ。こういう症状に効く。それらの「効能」を提示できないかぎり、ビジネス書はビジネス書になりえません。
ところが、うまくいかない。がんばって「効能」を盛り込んだ原稿を書こうとするものの、どこか自分じゃない感じがする。
立ち止まって考え、気づきました。
いまの——あくまでも、いまの——自分がほんとうに書きたいこと、そしてほんとうに伝えたいこととは、わかりやすい効能を持たない、むしろ「直接には役に立たない」くらいの本じゃないのかと。
そこでいったんすべてをリセットして、自分はだれに向けてどんな本をつくりたいのか、白紙の状態から考えなおすことにしました。
結果、浮かんできたのが中学生です。
自分の中学時代、あるいは高校時代をふり返ってみたとき、本に「効能」を求めるような発想は皆無でした。目の前の本を、真夏の冷えた麦茶みたいにごくごくと、夢中になって読んでいました。結果としての「効能」があったとしても、それは作者から与えられた正解ではなく、自分なりに見つけた道しるべのようなものでした。
また、2016年に瀧本哲史さんと一緒に『ミライの授業』という本をつくった経験も、おおきかったと思います。この本をつくるにあたっては、長い時間をかけて全国各地の中学生たちと直接触れ合う機会を設けました。公立校の生徒たちも、有名私立校の生徒たちも、一様にシャイで瑞々しく、素直でした。周囲の目を気にしながらも、あたらしいなにかとの出合いを求めている感じが、ひしひしと伝わってきました。
彼らだったら、ぼくの気持ちを受け止めてくれる。わかりやすい効能がなくとも、自分で考え、なにかを感じとってくれる。勝手に、そう信じました。
とはいえ、中学生に向けた本を自分ひとりでつくる自信はありません。
そこでこれまで数多くの児童書、絵本、料理書など手掛けられ、その変態的な天才ぶりを長く尊敬してきたポプラ社の谷綾子さんにお声掛けし、今回の本づくりがスタートしました。
ふり返ってみれば、わあびっくり。1年以上も前のお話です。
どうしてタコの物語なのか
『さみしい夜はペンを持て』は、「うみのなか中学校」に通う中学3年生、タコジローを主人公とした物語です。タコジローはその名のとおり、タコです。純粋な小説とは違うものの、さまざまなキャラクターの登場する物語です。
打ち合わせのかなり初期段階、本のコンセプトを共有しつつ、好き勝手にアイデアを出し合っていたときの話。谷さんが「わたしは古賀さんに『物語』を書いてほしいんです」とおっしゃいました。物語? 起承転結みたいな、物語性のある文章ということ? よくわからないまま「わはははは」なんて笑ってごまかしていました。
そして後日、谷さんから送られてきた企画書に「舞台は海のなかで、主人公はタコの子で……」とありました。いやいや谷さん、物語を書いてほしいって、そういうこと!? それにしても、どうしてタコなの!? 谷さんの答えは「フォルムがかわいいから」。天才やばいです。
しかし、ひとりになってじっくり検討したのち、納得できました。たしかに今回の本は物語形式で語ったほうがいいのだろう。いや、物語の形式というよりも、「キャラクター」の力を借りて語ることが不可欠なんだろうと。
なぜか。
ぼくは現在、20代の大人たちとさえジェネレーションギャップを感じることがしばしばのおじさんです。いちばん気楽に話せるのは、昭和40年代生まれの友だちたちです。
そんなぼくが、一人称で、中学生に寄り添ったつもりの文章を書く。自分の中学時代を思い出しながら、読者に語りかける。そこにはかならず、世代間ギャップが生まれます。しかも、大人との「ちがい」に敏感な中学生たちからすると、そのギャップは致命的な「そうじゃない感」であるはずです。
一方、いまの時代に生きる中学生——たとえばアキラくん——を主人公とした「物語」を書いてみた場合にも、やはりギャップは生まれるでしょう。取り返しがつかないほど「そうじゃない感」だらけの、アキラくんを描いてしまうでしょう。
だったらいっそ、現実から遠く離れたファンタジーの世界で、悩めるタコの中学生に登場してもらおう。友だち関係に悩み、進路に悩み、家族との関係に悩み、これからの自分に漠とした不安を抱える中学生、タコジロー。ファンタジーの住人という属性ゆえ、抽象でしかありえない彼は、きっと「現実の中学生」と「かつて中学生だったぼく」をつなぐ架け橋になってくれる。世代間に横たわる「そうじゃない感」の溝を埋めてくれる。
そんなふうに思って、この物語を書いていきました。
執筆中には谷さんと、それだけで番外編が一冊できるほどたくさんのやりとりをして、文字どおりに何度となく書きなおしていきました。本書が谷さんのひらめき、粘り、献身的サポートなくして成立しなかった一冊であることを、感謝の気持ちとともに記しておきます。
谷さん、ほんとうにどうもありがとうございました。
イラストとブックデザインについて
ブックデザインは、以前からいつか一緒にお仕事してみたいとあこがれていた、佐藤亜沙美さんです(きゃーきゃー!)。カバーから中面の細部にいたるまで、とても印象的で、しっかり本の内容にマッチした、すばらしいデザインに仕上げてくださりました。とくに、カバー案がver.1からver.2で激変したときの「まじっすか!!」の感動は忘れません。
佐藤さん、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。
そして、浮遊感と透明感をあわせ持つ鮮烈な装画と、たくさんのかわいいイラストを担当してくださったのが、イラストレーターのならのさんです。佐藤亜沙美さんからご紹介いただいたとき、ひと目で「この人だっ!」と惚れ込みました。そして執筆中、ならのさんからラフが上がってくるたび、わあきゃあとよろこんでいました。おかげさまで目にもたのしい、最高の本になったと思います。
ならのさん、ほんとうにどうもありがとうございました。タコジローやその他のキャラクターに命を吹き込んでくださったのは、ならのさんです。
佐藤さん、ならのさん、そして谷さん。彼女たちの思いや熱量を肌で感じるためにも、この本はぜひ紙の本を手に取っていただけたらと思っています。紙の本で読んでこそたのしめる仕掛け(?)もいっぱいなので。
最後に
まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、あまり長くなってもいけません。最後にひとつだけ。
こちらも企画の初期段階のころ、実際に都内の中学校まで取材に行かれた谷さんが、この本の裏テーマとも言える目標をひとつ、掲げてくれました。こういう悩みを抱える中学生たちの、こういう気持ちに応える本にしたいと。いちおうは裏テーマなので、そのことばを直接ここに書くことはしません。
ただ、そんなにおおきく、そして切実な目標をもって本づくりに取り組んだのは、これがはじめてのことでした。
その目標に資する本になったかどうかは、まだわかりません。でも、ぼくたちの思いが詰まった、手紙のようなこの本を受け取ってくれる読者がいることを信じて、7月18日の発売日を静かに待ちたいと思います。
この夜は明ける。書けば、必ず。
最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。