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いったい自分はなにを書くんだろう。
今年の年末年始は9連休になるのだそうだ。
9連休といえば、ちょっとした海外旅行の日数である。しかもアメリカとかヨーロッパとか、機内で1泊つぶすような、そこそこの遠方に赴くにも十分な日数である。なにをしよう。さすがに寝てばかりはいられないし、おせちもすぐに食べ尽くすだろうし、昼酒をあおってばかりもいられない。遠方に出かける気も起こらず、仕事に費やすのも切なく、いったい自分はどうするのだろうかといまから心配している。
一方でまた、ほんとに正月なんてくるのだろうか、と疑う自分もいる。それなりに長く生きてきたこともあって、正月がどういうものであるかはすでに知っている。自分にとっての正月とは、とにかく「弛緩」だ。気持ちも、身体も、時間の流れも、部屋の温度も、周囲の喧騒も、気まぐれにつけたテレビも、なにもかもが弛緩しきった数日間。それが正月だ。
あの弛緩が、ほんとうに訪れるのだろうか。あと1カ月もしないうちに自分は、あのゆるゆるに身を委ねることになるのだろうか。わからない。どうもできないような気がしている。
そのうちに正式なお知らせができると思うけれど、来年の春ごろにぼくはあたらしい本の刊行を予定している。どの本もそうだとはいえ、今回は自分にとってずいぶんと大切な本だ。いま絶賛製作中で、ここからもう一度、おおきな富士を登らなければならない。そしてその登山がどのタイミングでやってくるのかまだわからず、もしかしたら9連休が、ちょうど登山日和になるのかもしれない。
という話とは別に、最近「有料のnoteを書いてみるかなあ」と思う自分がいる。
毎日書いているここのnoteを有料にするつもりは、まったくない。「月額いくら」みたいな設定にすれば、多少は購読者数のことが気になるだろう。しかも本や雑誌と違って、「この記事を書いたら何人増えた」とか「こう宣伝したら何人増えた」みたいな結果が即座に出てくるのがnoteであり、インターネット連載というものだ。数字に目を奪われたぼくは「購読者数を増やすこと」を目的としたなにかを書くようになるだろう。しかも最近は「推し」の文化が定着する一方、「お客さまは誰よりも偉い」という風潮も広がっているので、「こっちは金を払っているんだぞ!」と文句を言う人も出てくるのかもしれない。「なにも得るものがありませんでした」とか「読んだ時間を返してほしいです」とか「これを読むなら○○さんの△△を読むほうがずっといいです」とか、書かれるのかもしれない。切ない。購読者数に目を奪われ傾向と対策を考える自分も、いろいろ言われる自分も、ぜんぶ切ない。
それゆえぼくは有料化を選ばず、閲覧数も気にせず、「役に立つ情報」みたいなものを書こうともせず、のんきにnote活動を続けている。
ただし、一度も有料noteを書いたことがない、というのもなあ。とは思う。もしも自分が有料のつもりで書いたらどんなものになるんだろうなあ、とも思う。本とは違ったものになるだろう。文章とか本づくりのノウハウを語ることも、あるいは業界ウラ話的なものを書くことも、しないと思う。単発のエッセイや短編小説でお金をもらう(もらえるものを書ける)気もしないだろうし、いったい自分はなにを書くんだろう。
この「いったい自分はなにを書くんだろう」を考えるのは、案外おもしろい作業なのだ。自分の得意や不得意、その自己評価のありようを別の角度から見つめなおす作業でもあるので。