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わたしが見ている原っぱ。

ミレニアム以前、つまり90年代後半の話だ。

当時のぼくは、まだ本をつくっておらず、もっぱら週刊誌のライターをやっていた。ときには自分で企画を立てることもあったけれど、編集者が企画を立て、そのテーマに沿って取材することのほうがずっと多かった。そして、ぼくにまわってくる企画はなぜか、インターネット関連のものが多かった。「インターネットすごい!」「こんなディープな情報もある!」だけで立派に巻頭特集が組める時代だったのだ。あのころの雑誌とインターネットは。


もうずいぶん前のことでもあるし、ご迷惑にもならない話だろうからお名前を出そう。そうした「インターネットすごい!」的な特集のなかでぼくは、デーブ・スペクターさんに取材した。「インターネットおもしろいよねー。海外でもこんなに盛り上がってるよ」みたいな話が聞ければいいと思っての取材だった。

するとデーブさん、「インターネットなんか、ぜんぜんすごくないよ。普通の日本人が見るなら、テレビのほうがずっとおもしろい」と一刀両断する。企画を全否定する。なぜか。


「だって、みんなが見てるインターネットって『日本語サイト』でしょ? 日本語話者の人口と、英語話者の人口、どれだけ違うか知ってます? もしも英語をマスターしたら、『ほんとうのインターネット』にびっくりしますよ。サイトの数も、マニアックな情報の量も、圧倒的に違うから。日本語のインターネットだけを見て、ビル・ゲイツが語っているような『インターネット』をわかったつもりになるのは、とっても危険。だからぼくはたくさんの日本人に英語を勉強してほしいし、そうじゃなければテレビを見ていたほうがいい。『めちゃイケ』なんて、世界トップレベルのバラエティ番組だと思いますよ」


大意としてそういうことを、デーブさんは言った。


ぼくが高校生のころ、英語の先生が「ぼくは子どものころ、洋画が大好きだった。洋画を字幕なしで観たくて、英語を勉強した」と言っていた。そこで宿題だ、と先生は続ける。「次の授業までに、なんでもいいから洋書を一冊買ってきなさい。そして今月の授業はそれぞれ、自分の買ってきた本を読む時間にしましょう。たとえ一年かかったとしても、一冊を訳し終えたら相当の英語力が身につきます」。

さっそく紀伊國屋書店の洋書コーナーに行ったぼくは、まったくバカボンなことにアメリカのプロレス雑誌を購入した。へらへら笑いながらハルク・ホーガンやリック・フレアーの記事を熟読するぼくに、英語教師は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


閑話休題。このところ、コロナまわりに関連してインターネット上で陰謀論めいた言説を目にする機会が増えてきた。どんなレベルであれ、陰謀論に足を突っ込んでしまう人というのは、基本的に「世界」を見くびっているのだと思う。世界を、自分に理解できる程度の広さだと思っているのだ。

ぼくは英語やその他の外国語が不得手であるからこそ、世界の広さに畏れを抱き、自分のちいささに頭を垂れる。外国語が苦手でよかったとはまるで思わないけれど、あのときデーブさんに教えてもらった「きみが見ている広大な大地は、とんでもなく局地的な原っぱなんだよ」の視点には、何度も助けられている気がする。