友達であるということ。
きのうからずっと、「友達」について考えている。
たとえばフェイスブックのつながりには、おおきく「友達」と「知り合い」という2つの区分がある。フィルタリングをするように「この人は友達で、この人は知り合い」と切り分け、プライベートな内容に関しては「友達限定」の枠内でそれを投稿したりしている。その意味でいうと、フェイスブック的な友達とは「ある程度信用できる人」であったり、「個人的な、あまり公にしたくないことを打ち明けられる人」であるのだろう。つながりの「深さ」が、友達と知り合いとを分けている、とすることもできる。
けれどもほんとうは、深さ以外の尺度もあるのではないか。たいせつな秘密を打ち明け合うような(べたべたした)仲じゃなくても、友達といえる人はたくさんいるのではないか。そんなふうに思ったのだ。
この日曜と月曜、なんでもないお客さんとして「相馬で気仙沼さんま寄席」に参加してきた。
2011年3月の東日本大震災。そこからかなり早いタイミングで、糸井さんは復興支援のキーワードとして「友達」ということばを挙げていた。まずは東北の人たちと友達になる。ひとりの友達として、じぶんにできることをやる。そんなふうにおっしゃっていた。その場合の「友達」がいったいどういう関係のことを指すのか、ぼくはうまく理解できていなかったような気がする。
たとえば2011年、多くの人と同じようにぼくは、はじめてといえるくらいにおおきな単位の金額を、義援金として寄付した。東北の復興のため、なにかを「した」のか「してない」のかでいえば、いちおうは「した」ことになる。翌年以降は寄付らしい寄付もせず、震災以前と同じような毎日を送っていたとしても、だ。
2年ぶりの「さんま寄席」に参加して、何人もの気仙沼の人たちと再会した。お互いにおぼえていたし、それこそ「いつもフェイスブックで見てます」みたいな話にもなった。
ああ、糸井さんのおっしゃっていた「友達」って、こういうことなのか。
だから糸井さんは「友達」からはじめようと言ったのか。
ようやくわかった気がした。
友達とは、関係の深さではなく、むしろその「時制」によって測られる種類のものなのだ。現在進行形であり、将来もそうありたいと願う未来進行形であることが、「友達」という関係の入口なのだ。
友達になってしまえば、「あのとき寄付しました」とか「ボランティアに行きました」で終わるはずがない。過去形で句点を結ばない、現在進行形の往来が友達なのだから。たとえ会う頻度が少なかったとしても、大事な秘密を打ち明け合うような仲じゃなかったとしても、現在進行形として続きながら今後もそうありたいと願っているかぎり、その人は友達なのだ。また会うに決まっているじゃないか。
深さばかりで考えていると、自分にどれだけの「友達」がいるのか不安になってくる。しかし、時制でそれを考えると、自分はたくさんの友達に恵まれていることに気づく。ぼくは、気仙沼にも友達がいるし、相馬にも、それ以外の土地にも、たくさんのあたらしい友達ができたと思っていいんじゃないのかな。
なんというか、たくさんの元気をもらった二日間だった。