誤発注と個包装。
完全なる誤発注である。
多くの会社と同じく、うちの会社は備品購入にアスクルをつかっているのだけれど、アスクルではお茶やコーヒー、お菓子なんかも取り扱っていて、延長コードやサインペンを購入するついでにぼくは、米菓「ばかうけ」を注文した。業務用スーパー的な、ホームセンター的な、巨大ドラッグストア的なところに置いてある、何十枚も入った「お徳用パック」である。
ところがそのお徳用パック、なぜだか3つも届いてしまった。たぶん3つで1セットのボタンを押してしまったのだろう。生菓子でもなく、そのうち食べきるだろうことは間違いないから特に問題ないのだけど、決して広いとは言えないオフィスの中央に、お徳用のばかうけが3パックも並んだ姿は、あまりオシャレとは言いがたい。
で、ばかうけの話である。
ぼくは長らく、ばかうけを舐めていた。いや、べろべろ舐っていたわけでは当然なく、軽んじていた。その名前、ルックス、キャラクターの造形、商品ロゴのフォントなどから漂う駄菓子感に対し、食べもしないまま「おれはもうそういうのは卒業したよ」と思っていた。
ところがある日、子ども連れの友人が来宅することになり、その子のために用意したさまざまなお菓子のなかに、ばかうけが入っていた。まあ、ちょっと味見してみるか。食べたぼくは、「これ、いいな」と思った。猛烈に感動したとか、軽んじていた己を悔い改めたとかではなく、もっとライトに「これ、いいな」と思った。気がつくとぱくぱくバリバリ、10枚近く食べてしまっていた。
いいな、の理由はいろいろある。
まず、小分けのパッケージがうれしい。むかしはあれほど好きだったスナック菓子だけど、いまでは一袋完食するのがむずかしくなっている。かといって「食べきりサイズ」みたいな文言の書かれたちいさいスナック菓子は、どこか邪道というか、にせものを食べているような感じがして、せっかくならふつうのパッケージを買いたい。そんなダブルバインドのなか、ぼくはポテトチップスに代表されるスナック菓子を手に取らなくなっていった。
代わりに、ありがたく食べているのが小分けの菓子である。源氏パイとか、ルマンドとか、その手の菓子である。おそらくこれらの菓子は、ちまちま食べることを目的に個包装されているわけではない。砂糖やチョコレートが溶けたりくっついたりする惨事をさけるため、わざわざ個包装されている。それゆえ個包装の菓子は、基本的に甘いものばかりだ。
ばかうけのありがたさは、ここにある。しょっぱいのに個包装されているところが、偉いのだ。これであれば、「しょっぱいものが食べたいな」「でも、一袋完食するのはむずかしいな」「ほんのちょっと、小腹を満たす程度でいいんだけどな」という、ぼくみたいなおじさんの心をがっちりキャッチしてくれる。
そしてまた、いろんな味があるのがいい。今回購入したばかうけのお徳用パックには「青のりしょうゆ味」「甘口カレー味」「チーズ味」「ごま揚しょうゆ味」「コーンポタージュ味」の6つがバランスよく入っている。気分によって食べたいものを選んでもいいし、適当にガサゴソ手に取って「おお、3回連続カレーか」などとよろこんでもいい。
なんの話をしているのか。
これといって大事な話はしていない。ただ、ぼくのとぼしい海外旅行経験からいうと、海外(欧米)では個包装のお菓子をほとんど見かけない。面倒くさいからそうなっているのか、完食できる胃袋のサイズがそもそもぼくらと違うのか。むかしはそれくらいに思っていたのだけれど、おそらく今後は海洋プラスティックごみ問題が議論されていくなかで、日本の個包装は批判の対象になっていくのだろう。
個包装、好きなんだけどなあ。
ただこのひと言に着地するため、ここまでだらだら書いてしまいました。これから会食に向かいます。