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考えごとのつくりかた。

ずいぶん前にも書いたエピソードからはじめる。

意外なことに、と言うべきであろうか。子ども時代のビル・ゲイツは遅刻魔だったらしい。たとえば家族で旅行に出かける。お父さんやお母さんが準備をしている。「お前も準備しておいで」。言われてビル・ゲイツ少年も、自分の部屋に行く。そして三十分、あるいは一時間が経ったのち、母親がビルの部屋に入る。「準備できた?」。ところがビルは、幼き日のビル・ゲイツは、ベッドに腰掛けてぼーっとしている。

「あなた、なにしてるの?」。母は問う。

「考えてるんだよ」。ビルは答える。

「考えるって、なにを?」。再び母は問う。

「いろんなこと。お母さんは、ものを考えるって時間はないの?」。不思議そうに、ビルは答える。

彼の父であるビル・ゲイツ・シニアの著書、『人生で大切にすること』にあったエピソードである。ぼくはこの話が大好きで、しばしばいろんなところで語っている。

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ぼくも割と、考えごとをする時間が多い。通勤の電車に乗っている時間は、だいたい考えごとに費やしている。なにを考えているのか。きょうのランチか。晩飯か。残っている仕事か。あの打ち合わせか。

もちろんそういうことも考える。しかし、いちばん考えているのは「これ、おれが聞かれたらなんて答えるかなあ」である。

たとえば、いま現在のホットトピックでいうと自民党の総裁選であろうか。どこかの誰かに総裁選について聞かれたとき、自分ならどう答えるか考えるのである。

もっともこれは質問のありかたが大切で、「自民党の総裁選、どう思いますか?」みたいな問いであれば、「まあ、みなさんがんばればいいんじゃないですかねえ」くらいの答えで終わってしまいかねない。

そこでたとえば「自民党の総裁選、最大の争点はなんだと思いますか?」、「エネルギー政策について、あの候補はこう訴えています。あなたの意見は?」、「同じ時期に立憲民主党の代表選もおこなわれます。こちらの争点はなんだと思いますか?」という感じで、「感想」ではない「意見」を述べさせる質問をぶつけなければならない。感想とは、それについて深く考えることをしなくても述べることができるものだからだ。

こうして投げかけられたやや面倒くさい質問に対し「おれだったらどう答えるか」の答えを探っていく。このプロセスがまさに「考えること」だと、ぼくは思っている。


で、質問が思いつかない場合には、誰かのインタビューや記者会見を参考にするといい。

仮に俳優さんへのインタビューで、「あなたの人生を変えた映画を一本挙げるとしたら?」みたいな、そこそこ乱暴な質問があったとする。俳優さんは律儀に、ある一本を挙げ、その映画を観た当時のシチュエーション、観ながら感じたこと、映画館を出たあとに見た風景、などを述べている。

そういうインタビューを見つけたら、「おれがこの人(インタビュアー)に同じ質問をされたら、どう答えるだろう」と考える。もちろん「おれ」は俳優ではないし、そのような場に立たされる可能性もない。でも、考えるのだ。「おれだったら」を考えるのだ。

あいつマジでムカつくよなー。みたいなことを考えるのではなく、つまり自分発のなにかを考えるのではなく、「誰かに聞かれた(と仮定した)こと」を考える。考える習慣づけに、おすすめです。