見出し画像

やらないよりも、やったほうがいいこと。

やらないよりもやったほうがいいこと、というものがある。

たとえば数カ月前からぼくは、駅のエスカレーターを使わないようにした。つまりは階段を上り下りするようにした。ダイエット的な見地からみると、こんなの何の役にも立たない、と言われる。しかし、やらないよりもやったほうがいいだろう。いちおう太腿の筋肉が動いている実感はあるし、漫然とエスカレーターに乗っていたらそれさえゼロなのだから。

週に一度はなるべく、鍋を食べることにしている。以前にも書いた、大根サラダ用のカット済み大根を大量に(3パックから4パック)投入した鍋だ。デトックス効果がどれほどあるかは知らないけれど、そもそもデトックスなる概念が健康に有用なのかも怪しいけれど、やらないよりもやったほうがいいだろう。野菜をたくさん食べているのだ。同じ理由で欲に負けてとんかつを食すときには、かならずポン酢おろしをトッピングすることにしている。とんかつを食べている時点で不健康だろ、との意見はあるだろうが、ポン酢おろしを添えることで多少なりとも消化を助ける。まさしく、やらないよりもやったほうがいいことである。

犬の散歩に出るときは、当初の予定よりもすこしだけ、余計に歩くことにしている。ワンブロック先でもいいし、帰りにちょっと回り道をするだけでもいい。それで犬がよろこんだり、一日の満足度が向上したりするとは思わないけれども、やらないよりもやったほうがいい。犬のためにも、わたしのためにも。


原稿書きの仕事もじつは似たところがあって、たとえば推敲という作業は明々白々な「やらないよりもやったほうがいいこと」と言える。一度読み返せばそれでオッケー、という人はいるだろうし、そのスタイルを否定しようとは思わないけれども、ぼくは「やらないよりもやったほうがいい」と思っているので、何度もやる。時間が許すかぎり、何度もやる。

あいさつだって、お礼のメールだって、日々のちいさなありがとうだって、すべては「やらないよりもやったほうがいいこと」だ。やらないことですぐさま信用が失墜するわけではないものの、「やったほうがいいこと」を続けていけば、目には見えづらい好感のようなものが育っていくのではなかろうか。そして「やったほうがいいこと」をまるでやらない人は、いつしか周囲から人が去っていくのではなかろうか。

仕事や人間関係において、「ぜったいにやらなきゃいけないこと」をやるのは、当然のことだ。問題は些細な「やらないよりもやったほうがいいこと」に目を向け、それを続けられるかどうかなのだと思っている。