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人が痩せたいと願う、その理由。

毎朝体重を計測するようになって、2か月が経った。

日々の微細な増減はあるものの、我慢を要するほどの食事制限をすることもなく、およそ2キロの体重が減ってくれている。月に1キロのペース。かといってこの先ずっとこのペースで体重が減るはずもないわけで、もしもそうであればぼくは数年と経たないうちに体重がゼロ、すなわち消滅してしまうことになる。月1キロペースはどこかで止まり、それ以上の減量を望むなら本格的なエクササイズが必要になってくるのだろう。

現代人はなぜ、痩せたいと願うのだろうか。

お若い方のなかには「痩せたい」と「モテたい」が直結されている方も多いのではないかと想像する。あるいは、自尊心と絡めてダイエットに励む方もいるだろう。太っている自分をみっともなく感じ、自信や自尊心を取り戻すためにダイエットする。たしかに太っていると、似合う服も減ってくるし、そもそも服飾店での試着さえ嫌になってくる。結果、テキトーなぶかぶかの服を着てごまかし、そういうおしゃれとは言いがたい服で出掛けられる場所は家の近所に限られ、社交や見聞を広める機会を失い、自信や自尊心を失っていく、というパターンはよくわかる。実際ぼくにもおしゃれな服を前にして「おれに似合うはずがない」とひるむ気持ちは重々あり、その自虐意識の何割かは太りのせいだったりする。

ただ、どうだろう。もっと根本のところに「痩せたい」「痩せねば」の理由があるのではないだろうか。最近になってひとつ、気がついた。


「みんな痩せすぎ」なのである。

みんなが痩せすぎているから、自分の贅肉が「みっともないもの」に思えてくる。痩せた人の隣に立つから、自分の太りが悪目立ちする。もしも世界が相撲部屋のような場所であれば、誰ひとりとして自らの太りを気にしないであろう。誰ひとりとしてあなたを太っちょ呼ばわりしないであろう。

なので、いちばんいいのは日本人みんなが「せーの」で5キロや10キロずつくらい太ることなのだけれども、それが叶わぬ望みであることくらい、ぼくにもわかる。かといって、至るところで語られる「人と自分を比べるな」とのアドバイスも、実践はなかなかにむずかしい。

それでまた、いまの年齢だからこそ思うのは「若いころと同じような格好をしていること」にも問題があるんじゃないかということだ。若くて、いまよりもうんと痩せてたころには似合っていた服も、いまの自分が着ると痛々しい。ほどよい太りを貫禄としてカバーしてくれる、この年齢ならではの服がどこかにあるんじゃないか。おれはそれを着るべきじゃないのか。

……ますます関取の姿しか頭に思い浮かばず、がんばって痩せてみようと、誓いをあらたにしている。