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幸せは総取りすることができない。

お金がほしくない、という人はまずいないだろう。

そしておれは銀行よりも金を持っている、という人も少ないだろう。この場合の銀行とは、○○銀行渋谷支店、みたいな支店レベルの話である。あの建物のなかにどれくらいの現金が保管されているのか知らないが、まあふつうの富豪よりはたくさんの現金があるはずだ。

お金はほしい。そして銀行に行けば、山ほどのお金がある。しかしながらここから「よっしゃ、銀行強盗してやろう!」と考え、行動に移してしまう人はごく少数である。銀行強盗をモチーフにした映画はたくさんあるし、妄想や空想のひとつとして考えることはあったとしても、強盗するまでには至らない。

理由は簡単で、銀行強盗は犯罪だからだ。量刑とかは知らないけれど、きっとそこそこに重たい犯罪だろう。そしてなにより、お金がほしいのは「幸せになりたい」からなのだ。目的は幸せであって、お金は手段。たとえ銀行強盗がうまくいったとしても、そこから先は一生犯罪者として、また逃亡犯として日陰を生きねばならず、それはちっとも幸せな姿ではない。

しばしば「お金で幸せは買えない」という話が語られるけれど、そんなはずないよ、と思う人は銀行強盗をイメージすればいいと思う。幸いなことにぼくは「幸せな銀行強盗」のイメージが、なかなか湧かない。たとえば3億円事件の犯人も、そんなに幸せな人生を歩んだとは思えないのである。

犯罪者のあとに話すのはどうかと思うけれど、「有名人になる」も似たところがあると思う。芸能やスポーツやその他の分野で、ものすごくがんばった。日本中に知らない人がいないくらいの有名人になった。しかしそこには、さまざまな制約がともなう。

以前に取材した「超」のつく有名人、といえる方が、かなわぬ夢のように「スターバックスのオープンテラスでのんびりコーヒーを飲んでみたい」とおっしゃっていた。ああいう開けた場所で、誰の目も気にせず、ゆっくり飲むコーヒーはさぞかしおいしいだろうなあ、と。

何十億のお金を手にするのも幸せ。毎日のようにテレビに出て、みんなからチヤホヤされるのも幸せ。そしてスタバのオープンテラスで道ゆく人を眺めながらコーヒーを飲むのも幸せ。

総取りすることは、たぶんできない。「自分にとっての幸せ」の姿を、よくよく真剣に考えることが大切なんでしょう。

ぼくは、犬がいて、自分がおもしろいと思える本を書いて、それで好きな人とおいしいものを食べられたら、そんなに幸せな人生はないかなあ。って、けっこう総取り感ありますが。