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美しい人が見てるもの。
むかし、うちの犬は「ひっぱり」がすごかった。
散歩に出た際、リードをぐいぐいにひっぱって歩くのである。たいへん元気でよろしいのだけど、これだと交通事故に巻き込まれる可能性があるし、通行人にもご迷惑をかけてしまう。しかも首輪やハーネスが絞まって、本人もぜえぜえ苦しそうだ。
どうしたものかと獣医さんに相談してみたところ、唐突に「リーダーシップの欠如」を指摘された。犬が散歩でぐいぐいひっぱるのは、あなたのことをリーダーと認めていないからだ。主人としてのあなたが、頼りないからだ。ことば自体はオブラートに包まれていたものの、意味としてはそんなことを獣医さんは言った。もっとリーダー然とした振る舞いをしなさい、と。
リーダー然とした振る舞い。後輩然とした風貌と物腰で生きてきたぼくが、もっとも苦手とする挙動である。いったいどうすればいいのか訊くと、獣医さんは思わぬアドバイスをくれた。
「犬と散歩するとき、2本先、3本先の電柱を見て歩きなさい」
どういうことか。リーダー然とした振る舞いとは要するに、「いつも堂々としていること」である。そしてこれは実際に試してみてわかったのだけど、2本先や3本先の電柱を視界の中心に置いて歩こうとすると人は、おのずと顔が上がり、背筋が伸びるのだ。結果としてそれはリーダー然とした、堂々たる歩き方につながる。
長年深刻な猫背に悩んでいたぼくは、この事実に仰天した。そうか、美しい姿勢ってのは、美しくあろうとすることではなく、「ちょっと遠く」を見ようとすることによってつくられるのか。
以来、犬との散歩ではとくに「ちょっと遠く」を見ながら歩くようにしている。ぐいっと腰が入り、姿勢がぐんぐん伸びる。そうだよな、直立二足歩行だって「もっと遠く」を見渡そうとしたチャレンジだったんだもんな。
姿勢が美しい人。
生き方が美しい人。
あるいは存在が、美しい人。
そういう人たちはいつだって、「ちょっと遠く」を見ようとしている。遠い彼方の「夢」を見るのではなく、たとえば数ヶ月後の、せいぜい数年後にある「ちょっと遠く」の景色を見ようとしている。
そして目の前だけを見ている人、足もとばかりを見ている人はどうしても、猫背な生き方になってしまう。
これはもう、ひとつの真理だと思うのだ。
犬に教えてもらったことは多いです。