読者をバカにしてはいけない、の意味。
「いまの読者は、ほんとにバカなんですから」
以前よく一緒に仕事をさせていただいていた年長の編集者が、ある時期からそんなことを言いはじめた。ぼくが30代の前半だったころの話である。
いまの読者はバカだから、むずかしい話はわからない。いまの読者はバカだから、長い話は読んでくれない。いまの読者はバカだから、ひと見開きで完結する程度の情報しか求めていない。いまの読者はバカだから、図版やイラストを使わないとわかってくれない。彼はしきりにそんなことを訴え、実際そんな本を大量生産していった。そして言うのだ。「こういうバカ向けの本で数字を稼いで、年に1冊くらい自分がほんとうにつくりたい本をつくるんです」。
個々人がどんな編集方針を持っていようと構わないのだけど、ぼくに声がかかるのは決まって(彼が言うところの)バカ向けの本ばかりであり、ぼくは少しずつ彼から距離を置くようになった。
「わかりやすい本をつくる」や「わかりやすい表現を心がける」ことの大切さは、ぼくも同意する。いまでもぼくは「わかりにくさ」や「難解さ」の半分以上は、書き手の怠慢だと思っている。同じ内容を語りながらも、もっとわかりやすく、もっと平易な表現を探すことは可能であり、その試行錯誤には終わりがないと思っている。
でも、わかりやすさを心がけるのは「読者がバカだから」ではない。
自分がバカだから、そうするのだ。
読者がどれくらいの理解力や読解力、前提知識を持っているかなんて、知りようがない。であれば、少なくとも「いちばんバカだったころの自分」が読んでも理解できるような表現を心がける。若いころの自分がどれくらいバカだったかは、よくわかっているつもりだ。同時に、そのころの自分が「きみはこれでも読んでなさい」と手渡されたバカ向けの本をよろこぶほど愚かでなかったことも、よくわかっているつもりだ。
「読者をバカにしてはいけない」とは、よく言われることばである。
それは読者の知的レベルを見誤る行為だからいけないのではなく、自分の知的レベルを見誤るという意味で禁忌なのだ。誰かのことを「バカ」だと思っている人は、自分のことを「かしこ」だと思っている。バカに決まっている自分を「かしこ」と思った瞬間、人はほんとのバカになる。
「読者をバカにしてはいけない」とはすなわち、「間違っても自分のことをかしこいと思うなよ」の戒めなのだ。