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たまに、営業的な自分のインスタやfacebookにオエっとなることがある。

タイトル通り。
だから、たまにいい子ちゃんでないそのまんまの自分を吐露してみる。

はみださないように、おとなしく。
興味がなくても右なら右へ。
左なら左へ。
だって、そんな中で上を向くと、叩き潰されてしまうから。

こどものとき、
飛び出してしまっていた私は、
見事に集団からつまはじきにされてしまった。

いきがってる。
変わってる。

何回言われただろう。

いきがってるって、なんだ。
何がいけないんだ。

でも、負けなかった。
学校へ行かないという選択肢が、自分の負けを認めたようで、絶対にしたくなかった。
だって、自分が間違ってると思えなかった。

なんでみんなで右を向くの?
なんで左って言ったらみんなで左なの?
なんで自分がやりたいって思うことをみんなしないの?

いきがってる自分を突き抜けていったら、誰も何も言わなくなった。
それは、海外に行ったりとかの経験が大きかったと思う。
教室、学校の世界なんて小さい。
世界はとんでもなく広い。
学校のいじめなんてかわいいもんだった。
世界には、人種差別があった。

そして、英語なんてしゃべれなくたって、人と人は通じ合える。
アジアだろうがヨーロッパだろうが、関係ないさ!って思ってる人が、いた。
気持ちがなければどんな言葉を交わしたって上っ面。
その経験は私の人生の根底の部分。

『人権』『生きること』について考えだしたのは一人でイギリスへ行った小学校6年生の人種差別がきっかけだった。

人ってなんだ。
生きるってなんだ。
自分のすべきことってなんだ。
自分がしたいことってなんだ。

クラスメイトの好きな人の話とかに、本当に興味がなかった。
なんだってしょっちゅう男子を好きになってなきゃいけないのかわからなかった。
つるむのが嫌いだった。
一緒にトイレへ行く女子たちの気持ちがよくわからなかった。
トイレに行きたいなら一人で行けばいいし、なんでみんなで行く必要があるんだろう?って。

孤独ではあったけど。
でも、孤独同士の仲間もいた。

今ふりかえればあのときのいじめなんて、これまでの人生の苦労の中では、
ランキング50位くらい。

でも、大きな影響はあったのかもしれないと思う。

今、もっと考えろって言われる。
もっと自由に考えろって。

右なら右の中で上を向いてもいいんだ、って。
むしろ、上を向いてみろって。

やれるかどうかじゃない、やるんだって言われて、
しびれた。

それは、今までも何度も言われてることなんだけど。
そして毎回ビリビリくるのだけど。

そうだった。
人生なんていつ終わっちゃうかわからない。
順調にいったって、あと数十年。
何を足踏みしてるんだろう。
何を怖がってるんだろう。

人なんて私のことなんて気にしてもいないのに(笑)

いきがってってた幼い頃の自分は、きっと、いきがって進みながら、
でも、周りに足並みをそろえられない自分が不安だったのかもしれない。
その名残が残ってる。

今、それが足枷になってる。

でも、本来の自分は、自分自身が一番よく知ってる。
本当は、平凡なんてできないことは自分が一番よく知ってる。

突っ走って、突き抜けて、好きなことは好きで。
嫌いは嫌いで、許さないことは決して許さない。
頭は固いけど、そしてその固さがコンプレックスで、
それを打ち破りたい。

そんな風にあがく自分が、すごく好きなこと。

何はともあれ、今日、思いっきり、先生に背中押されて、私は最高にしあわせ者だな、と。


やれるかどうかじゃない。

やるんだ。



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