25歳の生き方論
はじめてのnoteです。
私は今、イギリスに留学にきています。
専攻はLandscape Architectureといって、
人と自然が一体となってうまく回っていくように、公園を作ったり、都市計画を考えたりする分野です。
そして卒業がいよいよ9月に、迫ってきました。
卒業したらどうするの?
何になるの?
と、聞かれることが増えてきて、
仕事のことや、生き方について真剣に考えました。
まずは「生き方の軸」や、
付随して「やりたくない」ことを、
忘れないように書き留めておくべきだと思ったので、自分のために、書いています。
今の社会、生き方にもがいている友人も多くいる印象を受けるので、
もし誰かの役に立てば、とても嬉しいです。
【生き方の軸は】
まず、何になるか、考える前に
自分が納得できる、
”生き方”を決めとかないといけない気がしました。
なぜなら、
仕事なんていくらでも変えられるし、
この、情報とモノと人で溢れかえって
変化の激しい時代なので、
何か自分の中に「軸」がないと、
あれ、なんで生きてるんだっけ、ってなりかねない。
そしてつい先日、
素敵な”生き方”を教えてもらいました。
いつも機嫌よく生きる
この前、兄と電話していて
兄が、おすすめの本「超訳ニーチェの言葉」の中で、
気に入っている箇所を教えてくれました。
”いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。”
「いつも機嫌よく生きる」
わたしの生き方の軸はこれにしよう。
人を助けることが純粋な喜びとなって、
自分をいつも機嫌よくいさせてくれる。
何度考えても、いいことしかない。
まずは自分の心
ニーチェの言葉どおり、
自分の過去を振り返ると、
人に喜んでもらった時ほど、
嬉しいことはないような気がします。
自分への買い物より、プレゼント選びの方が楽しいように。
ここから少し話がぐるぐるしますが、
人のために心と時間を割くには、
自分の心と時間に余裕がないといけない。
これは経験から。
自分の心が荒んでいたら、
人のことを考える余裕がなくなります。
そして、人ために心と時間を割くことができなれば、
自分の”純粋な喜び”が得られません。
そうしていたら、どんどん心に余裕がなくなって、
人のことを考える余裕がなくなる。
そのループです。
だから、いつも機嫌よくいるために、
自分の力の及ぶ範囲でできる、
この良くないぐるぐるから脱するファーストステップは、
自分の心を常に”純粋な喜び”で満たすこと
じゃないでしょうか。
そのために、自分が美しいと思うものを求めたり、
楽しいと思うことを一生懸命にやりたい。
わたしは、人を喜ばせることも嬉しいし、
新しく人に出会うことも大好きなので、
一生懸命に遊んで、たくさんの人に出会って、その人たちを喜ばせたい。
自分の純粋な喜びのために。
純粋な喜びのためには努力が必要
”純粋な喜び”を得るには、割と努力が必要だと考えています。
理由は2つ。
1つ目は、
自分の心の状態を決めるのは自分だけじゃなくて、
周りにいる人や、環境に大きく影響を受けるということ。
なので、自分が機嫌よくいられる場所、環境に
自分自身を連れて行って、そこにいるためには
少なからず努力が必要です。
これまでの経験で言うと、
受験勉強をそこそこ頑張ってよかった一番の理由として、
考え方の面白い人、教養のある人、話の通じる人が多い環境に身を置いて、いい影響をたくさん受けた、
という実感があります。
2つ目は、
現代では、たぶん特に日本では
”人生のスタンダード” 的なものが共有されすぎていて、
うっかり流されると自分の”純粋な喜び”より、
お金とか、安定とか、肩書とかが重要に見えて、
それらを優先してしまいがちなこと。
シンプルに周りの人を見ていて、そう思います。
そんな、”社会の共通認識”に流されずにいるには、
結構な努力が必要な気がします。
そう思うと、やりたいことを求めるのも大事ですが、
生き方の軸の大切な要素として、
「やりたくない」ことや、自分にとって「重要じゃない」ことを明確にしておくべきかもしれない。
【やりたくないこと、重要じゃないこと】
仕事と生きることを分けない
仕事は仕事で割り切ってやってる、っていう人がいますが
私にはそれはできません。
これもまた、
常に自分の心が満たされていないと、
人に与えることができないからです。
人生のうちに、
仕事のために、お金を稼ぐために、
心を捨てる時間があってはならないと思います。
もし今後、そんな状況に入ってしまったら
一生懸命に抜け出したい。
「いつもいつも満たされていられるほど、人生甘くない」
と言われるのはわかっていますが、
だからこそ努力をするわけで、
人生甘くないんだよ、といいながら
お金や安定のためにその状況にとどまるのは、
努力不足、怠惰ではないか、と思います。
肩書を求めない
就職するってことは肩書を得るということ。
わたしは職業名で言うと、
ランドスケープアーキテクトになりたいのですが、
一体何をすれば
「よーしこれで今日からわたしは、ランドスケープアーキテクトだ!」
と言えるのか、わかりません。
会社に入ったら?資格を取ったら?…たぶんそうではない。
将来何に ”なる” の、ってよく聞かれるけど
わたしはわたしで、別に何になるわけでもなく、
”何をした結果なんと呼ばれるか”
じゃないでしょうか。
だから、
肩書は今急いで探さなくても、
あとから自然についてくるはず。
やりたいことをやった結果、それが肩書としてこの世にないしても、わたしにはふみかって名前があるからそれでいい。
”とりあえず”の道筋を立てない
特に長期的な道筋は、立てない方がいいと思っています。
とりあえず就職して3年働くとか、
5年後の年収がこれくらい、とか。
道筋があるのは、安心するかもしれませんが、
その”とりあえず”立てた道筋、
後から変えてもいいと思っていた道筋に
無意識のまま縛られている人が多い気がしてなりません。
自分の中での道筋よりも、どんな人に出会いたいかで行動する。
そして、その時々に出会えた人たちを一生懸命に喜ばせることを第一に考える。
初めから、「また次の出会いがわたしをどこかに連れてってくれるやろ」と構えていた方が、いい気がしてならないのです。
なぜなら、これまでの人生ではいつも、
人との出会いが、わたしを思いもよらない場所に連れてきてくれたから。
この経験は、頭の中で”とりあえず立てる道筋”より
わたしにとってはよっぽど信頼できるのです。
【さいごに】
読んでくださって、ありがとうございます!
せっかく一回きりの人生なので、
Mindful に、生きていこうと思っています。
そして、そんな生き方が広がり始めていると思います。
頑張りましょう。
上の写真はイギリス南海岸、イーストボーンの朝日。