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父が思い出の写真を大量に捨てていた件
先日、久しぶりに実家へ帰った。
すると母が開口一番、「昔の写真がほとんど無くなってる」と言うではないか。
ーいや、そんなはずはない。
以前父の部屋の押し入れに写真が詰まっているのを見た記憶があるので、そこを探せばきっと出てくるよと答えると、
母は首を横に振った。
「多分お父さんが勝手に捨ててるから、もう無いよ」
とのこと。
いやいや、いくら父でも家族の思い出の品を勝手に処分するはずが…
と思いつつ、本人に確認してみることにした。
父「あるよ」
あった。やはり母の勘違いだったか。
ほっと胸をなでおろし、父に頼んで写真を引っ張り出してもらう。
…少ない。やけに少ない。
僕の記憶では、押し入れの奥には分厚いアルバムが何冊もあったはずだ。
それが、手元に出されたのは申し訳程度の十数枚のみ。
「これだけ?」と父に問うと、彼は驚くほどあっさりとこう言った。
「劣化したものや一般的なものは全部捨てた」
…ちょっと待て。
「一般的なもの」って何だ。
まさかとは思うが、家族写真や僕の卒業アルバムなんかも含まれていたのでは?
と聞いてみると、どうやらその通りらしい。
父にとっては「記録として価値のあるもの」だけを厳選し、それ以外は処分対象だったのだろう。
しかし、今さら文句を言ったところで消えた写真は戻らない。
父は昔からこういう人で、物を溜め込むことを嫌う。
僕が小学3年生の頃にも、学校から帰ると勉強机の上のキン消しやら超合金からのおもちゃが全部捨てられていた事もあった。
写真に関しても、きっと彼なりの基準で整理したのだろう。
つまり、これはもう仕方がない。
以前から押し入れの奥に写真が大量にあることを知りつつ、そのうち、そのうちと整理を先延ばししていた僕が悪いのだ。
思い出の品は、いつまでもそこにあるわけではない。
時間が経てば劣化するし、時には誰かの手によって(意図的か否かにかかわらず)消えていくこともある。
実家に置きっぱなしにしていた時点で、ある意味この結末は必然なのである。
しかし、失ったものを嘆いても仕方がない。
まだ残っている写真が少しでもあるのなら、それを大事にすべきだ。
なので、今年は現存する写真を片っ端からスキャンすることに決めた。
我が家にはScanSnapという高速スキャン機があるので、コイツに活躍してもらう。
残っている写真を守るためにも、今できることをやるしかない。
こうして、実家で発覚した「思い出消失事件」は、
「2025 春のスキャン祭り」という地味な後始末へと続くのだった。
教訓
思い出の品は、あるうちにデジタル化せよ。
親は思い出を意外とあっさり捨てる。