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本当に繊細な人のすること

どっちなんだろう。わからない。あなたは繊細ですか? と聞かれたら「繊細」なような気もするし、そんなに繊細ではない気もする。

そもそも「繊細」ってどういうことなんだろうか。

お近くにあった『新明解国語辞典』(第六版)ひとつ版が古いな。で引いてみると

せんさい【繊細】一、きめが細かくて、優美な様子だ。「白い――な指」二、感情が細かくて、鋭い様子だ。「――な神経を逆なでするような発言」←→がさつ

と「新解さん」が教えてくれている。相変わらず情緒のある辞書だな。

じゃあ、それに自分が当てはまるのか。きめが細かく、優美な様子は無理だ。きめが細かいというのは「お肌」のことを言ってるんだろうか。残念ながら、たぶん優美なほどきめ細かくはない。ひどく粗くもないけど。

というか、きめが細かくて優美が繊細基準だったら、京都の舞妓さんぐらいしか思い浮かばない。イメージがすぎるけど。えっと、こういうこと書くとポリコレ的なポリスに怒られが発生するんだろうか。

もう一つの、感情が細かくて、鋭い様子。こっちは、時と場合によっては、当てはまるかもしれない。

ゲラを読んで文章の校正をするときとか。とくに二校、三校と校正用のゲラ(書籍なんかの印刷前の状態でレイアウトされたもの)を修正の赤字と突き合わせてたりするのは、まあ繊細っちゃ繊細な思考と作業をしてると思う。

その時点から大きく変わる、変えるというのは基本的にありえないけれど、まだこのまま校了して印刷に回すには、何かが足りてなかったり、余計だったりする。工業製品で言ったらバリがあったりする状態。

そこの見極めを、その原稿が持っている世界やらエネルギーやらトーン、そもそもそれを成り立たせてる構造を壊さないようにしながら、ありえる最高と思われる状態に持っていく。

いや、ほんとはもっと具体的な作業だけどそれはまた別のとこで。

そういう作業を「繊細」と呼ぶのなら少しは僕も繊細さを持ってるのかもしれない。たぶん、がさつではできないんだろうから。

とはいえ、だ。現実はそう繊細でもいられないこともある。いろんな事情が重なっていくと。

そうなると、繊細であるテイでものごとを進めてしまう。繊細さは忘れたくないんだけど、ちょっと難しくて――と、一応、繊細さは持ってますよ、忘れてないですよの証拠を残したくなる。

だけど、そういうのはある人に言わせるとまったく繊細ではないのだ。

本当に繊細な人は、繊細さを感じさせないようにするぐらい繊細なのだから。