だいたい、いつも5人
何か伝わったらいいなと思って文章を書く。このnoteにしてもそうだけど。そのときに、書いたこと思ったこと、感じたことが伝わる人数の話。
だいたい、いつも5人だと思ってる。
いや、私にだって伝わってるよと言ってくれる人もいるかもしれない。いないかもしれない。
なんだけど、イメージとしての人数はだいたい5人ぐらいと思って書いてる。少ないんだろうか、多いのだろうか。
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自分の影響力とか、そういうことじゃない。もし自分に、そこそこインフルなエンスの神様が微笑んだとしても、1000人とか1万人に伝わるとは思わない。
そもそも人はみんなそれぞれ違う。
いま、あたり前のことすぎて開いた口が塞がらなくなった人はちゃんと閉じてほしいのだけど、構成要素がまるで違う自分以外の他の誰かに何か「伝わる」「受け取ってもらう」「同じ気持ちでアクション起こしてもらう」って実際のところ相当難しい。
同じものを同じ場所で同じタイミングで見てたって「同じ」には見えないし、思わない。同じことなんて感じない。
仮に同じに思えても細部はいろいろ違ったりする。
総論賛成、各論反対ってやつも似てるかもしれない。全体として言ってることはわかるけど、それとこれとは別ってやつ。いまも例のやつでもよく見られる現象だ。ちょっと話が飛躍したので戻そう。
たとえば「コーヒーが好き!」てところまでなら、俺もわたしも何人もいるよね。
でも、コーヒー豆の種類、ロースト具合、ドリップの機器や方法、カップはどんなの、ラテがいいとか飲み方はみたいに細部に入っていくと、どれも「自分と一緒だ!」という人はほとんどいないから。
ちなみに僕は朝、最初の1杯はソイラテで飲んで、2杯目のコーヒーからはブラックで飲む。九州産ふくゆたか100%無調整豆乳を投入して飲むとおいしい。どうでもいい情報。
みんなに届かない、みんな同じに受け取れないのがもちろんあかんわけでも哀しみでもなく、そういうものだよなぁということ。
基本的に自分が思ってるものがそのままトランスポートされて誰かに届くわけじゃない。そこを引き受けてものを書くってこと。
だから、5人。それでも5人に本当に届いたら感慨深いから小躍りするよ。