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100%の自分を探しに

年末になるとなぜか写真が観たくなる。
そんなの知らんと言われそうだけど。

まあ現実逃避なのかもしれない。やることがありすぎて。摂取しないといけないテキストがあれもこれもあるので、つい写真のほうに惹かれるというのもある。文字から少し離れたい。

あ、noteは別です。noteは読むというより「感じる」「空気に触れる」に近いから。

以前に読んだ、誰かのnoteの写真だけを流し読むみたいなこともしてみたりする。

これも、書かれてる文章が読みたくないとかではなく、写真の中にも何かしらの言葉や、そのときその瞬間に漂っていた音や空気、感情や情念、ノイズやなんやかやが必ず写りこんでるからだ。

そんな見えない言葉を辿っていくだけでもおもしろい。

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ときどき、写真に写っている人が「あ、この人ここに100%いないな」というのが見えるときがある。

オカルト的な意味ではなく、何をするときでも100%の自分として入り込めない人っているのだ。自分がそうだからわかる。

みんなと一緒に楽しそうな空間にいて写真に写ってるのに、その人は75%ぐらいしかそこに存在してなくて、残りの25%はどこかに置いてきているか、別のことを考えたり、なんならほんとにどこかで違う作業をしているのだ。

もちろん無意識レベルのことなので、そうなってるとは本人も思ってない。

だからといって、その人がその場にいるのが「嫌」なのではない。たぶん動画で観たらわからないと思う。ふつうにみんなで楽しんでるように動画では撮れてるのだ。

だけど、写真にはふしぎなぐらい100%じゃない自分が写ってしまう。

そんな100%じゃない誰かの写真とシンクロして、切ないような懐かしいような気分になる。

いったい年末に僕は何をやってるんだろう。