![写真_2017-01-12_13_21_19](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9132644/rectangle_large_type_2_44769b6bd3c0453fe7ae96091d25ee82.jpeg?width=1200)
100%の自分を探しに
年末になるとなぜか写真が観たくなる。
そんなの知らんと言われそうだけど。
まあ現実逃避なのかもしれない。やることがありすぎて。摂取しないといけないテキストがあれもこれもあるので、つい写真のほうに惹かれるというのもある。文字から少し離れたい。
あ、noteは別です。noteは読むというより「感じる」「空気に触れる」に近いから。
以前に読んだ、誰かのnoteの写真だけを流し読むみたいなこともしてみたりする。
これも、書かれてる文章が読みたくないとかではなく、写真の中にも何かしらの言葉や、そのときその瞬間に漂っていた音や空気、感情や情念、ノイズやなんやかやが必ず写りこんでるからだ。
そんな見えない言葉を辿っていくだけでもおもしろい。
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ときどき、写真に写っている人が「あ、この人ここに100%いないな」というのが見えるときがある。
オカルト的な意味ではなく、何をするときでも100%の自分として入り込めない人っているのだ。自分がそうだからわかる。
みんなと一緒に楽しそうな空間にいて写真に写ってるのに、その人は75%ぐらいしかそこに存在してなくて、残りの25%はどこかに置いてきているか、別のことを考えたり、なんならほんとにどこかで違う作業をしているのだ。
もちろん無意識レベルのことなので、そうなってるとは本人も思ってない。
だからといって、その人がその場にいるのが「嫌」なのではない。たぶん動画で観たらわからないと思う。ふつうにみんなで楽しんでるように動画では撮れてるのだ。
だけど、写真にはふしぎなぐらい100%じゃない自分が写ってしまう。
そんな100%じゃない誰かの写真とシンクロして、切ないような懐かしいような気分になる。
いったい年末に僕は何をやってるんだろう。