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なぜストロングゼロを飲まないんだろう
僕はストロングゼロを飲まない。かなりどうでもいいことだけど。
何か主義主張があってとか、家訓を守ってとかではない。本当にナチュラルにこれまで一度も「飲みたい」「飲もう」と思ったことがないのだ。
べつに発売元に対して何か思ってるとかでもない。
本搾りとかの缶酎ハイもたまに飲む。だから、お酒のジャンルとして嫌いでもない。
2018年には、長年、缶酎ハイ市場で最強として君臨してきた「氷結」を抜いてトップになるほど売れているというのに。なんで僕はストロングゼロを飲まないんだろう。
たぶん、僕が暮らしている里山の日常とストロングゼロの世界に埋めがたい距離があるからだ。端的に言えば、植物と生きものたちにあふれた里山とストロングゼロはどうしても合わない。
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ストロングゼロといえばネット上では「やばいお酒」「虚無の酒」「飲む福祉」といったフレーズがくっついてくることでも知られている。
そこから派生して生まれた 「ストロングゼロ文学」の名作を眺めてみても、これはいつの時代のどこの国の飲み物なんだろうと思う。時空が歪んでるかもしれない。
自分の置かれてる日常を突き放し、客観視するところから生まれる「何か」がストロングゼロ文学にはあるのだけど、そこにはカタルシスが見つからないのだ。ペーソスという名の行き止まり。
先に進むことも、新しい方向を向くことも、後ろに戻ることもできない。だからとりあえずすぐに現実を消すことができるストロングゼロを飲む。僕だって、そこにいれば飲むだろう。
そこまでいかなくても、簡単に日常をリセットできて、ちょっと気分を上げられてしかもコスパのいい「魔法の水」だからそりゃ売れるよね。
僕の場合は、むしろ日常を消したりリセットしてしまったら生きるのに支障が出る。野生の生きものたちは、人間がちゃんと暮らしてると、その領分には入って来にくいけど退廃の方向に向けば彼らに領分を明け渡すことになるから。
だから飲むなら、現実を忘れずに生きることを愉しむためのお酒にしないといけない。ストロングゼロだってもちろん愉しめるという人もいる。それは否定しない。
ただ、やっぱりここでは「合わない」んだよ。