わらしべ長者はなぜ大事な話なのか
なんでこういうの来るんだろ。なんでいまこれなんだ? そのときはよくわからないってことがある。
自分に依頼される謎な仕事とか、人との出会いから起こる事象とか。そういうの、ありませんか?
昔はいちいち「なんでだろ」と考えてた。考えたって仕方ないんだけどね。
あるときから考えるのをやめた。よほどのこと(廃墟の地下室に拉致られて謎の赤いボタンを押せとか)じゃなければ、まあそのまま乗ることにしたのだ。
歓迎でも嫌々でもなく、なんていうかフラットな気持ちで。
そしたらこんな変化があった。たいていのことが自然につながるようになったのだ。
***
個別にはまったく関連ない事象AとDがつながってKになり、それがずっとそうしたいなとイメージしてたPを実現させるきっかけになったり。
これ、なにかに似てると思ったらあれだ。「わらしべ長者」だ。
偶然、手に触れたなんてことのない「わらしべ(藁)」が、なぜか最終的には屋敷に変わっている。
同じように、あとから考えると「そういうことだったのか」と腑に落ちることが増えたのだ。最初のAからPまでのつながりがそのときになって見える。
まあべつにそんなの珍しい話でもなくて、多かれ少なかれあることなんだけど、そういうのなんて言うんだろうとはずっと思ってた。
セレンディピティも近いけどそこまでじゃない。そしたら、ある人が「偶有性」って言うんじゃないかと教えてくれたのだ。
わらしべ長者という名の必然でも偶然でもない「偶有性」。規則性と不規則性のあいだを揺蕩う何か。
このなんとも言えない感覚を忘れたとき、たぶん世界がのっぺりとして味気なくなるんだろう。