写真_2017-11-19_11_27_52

土があれば生きていける

土地があればではない。「土」だ。「soil」。こいつまた何言ってんだと思われそうだけど。

土があれば生きていける。アジテ―ション的に言ってるわけでもなくて、わりと素でそう思う。思うというか感じてるから、それを言語化したら「土があれば」になるだけだ。

吉玉サキさんのnoteを読んであらためて思った。

あえての有料noteだから引用はしない。ただ、僕らも根っこの部分では同じような感覚は持ってる。

いまの時代、どこか一か所に縛られる生き方をしたい人って少ないと思う。これだけ人も情報も働き方も、物理的な制限から自由になれたのだ。

なのになんで「土のそば」で暮らそうと思うのか。

すごく端折っていえば「土があれば食べ物がつくれる」から。この安心感って地味にある。まあ主に野菜だけど。

過去に何度かnoteでも書いたけど、すごく田舎暮らしに憧れてとか、東京を離れて自然な暮らしを――みたいな文脈で(べつに否定はしてないよ)信州に移り住んだわけじゃない。

自分をちゃんと生きたいを考えたときに、わりと切実にそれができる環境が必要だったからだ。東京とか近郊でその環境が見つけられればそっちに移ってたかもしれない。

けど僕らが見つけたのは、いろんな縁が重なっていまの場所だった。なにより「土」がリアルにあった。この辺では「土」のことを「べと」と呼ぶ。なぜ「べと」なのかはいまひとつふわっとしてるけど語感がいいよね。

英語で「土」や「土壌」を意味するsoilは元もと、インド・ヨーロッパ語族が使っていた言語の中にある「座る」「落ち着く」という意味の言葉から来ている(らしい)。

そう。土があれば落ち着くのだ。野菜もつくれるし、果樹も植えられる(実がなるのに時間はかかるけど)。火を熾しても土の上だと安心感がある。気を付けてやるけど。

もちろんライターや編集をやってて専業農家ではないので、仕事の上ではもっぱらキーボードを叩いて画面を見ている。のだけど、こっちでライターをやってると、どこかで「土とつながってる感」がある。

ライターや編集の仕事も、野良仕事をして野菜の世話をするのも、どっちも「生きる」ための仕事。ライターだけやってると、何か実体のない不安が忍び込みそうになってたのが、土とつながったことでバランスが取れるようになった。僕の場合は。

もしかしたら太古の昔、土の上で狩りをして、土の上で休み、土でiPhoneをつくり、土の上で何かを育てて生きる糧を得ていた時代のDNAが少し呼び覚まされるのかしれない。ファンタジー。

みんなにとっての正解ではもちろんない。そんなものはないと思う。

だけど、どこかで次のフェーズに移るべきなんだろうなと自分の内側で何か感じてるときは、その声に動かされてみてもいいんじゃないかと思うんだ。