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嬉しかったことを覚えてない

この前、ふとそう思ったことがあって。まあこの時期、一年のこと振り返る人多いじゃないですか。

もっと早く振り返ってるのかもしれないんだけど、僕の場合、例年だけど仕事納めの概念がないので、振り返るタイミングがないっちゃない。

今年は、たまたまある人からの話しきっかけで、今年嬉しかったことを振り返る機会があったんだけど、まあすぐ出てこない。

もちろん、なかったわけじゃなく、むしろいろいろあったと思う。嬉しかったこと。でも、すぐにこれとこれですって言えない。

単純に記憶がポンコツなだけなのかもしれないけど、忘れてるというのとも違くて。

じゃあ、腹が立ったこととかなら覚えてるかというとそれもない。聖人君子(この言葉いまもあるんだろうか)じゃないから、瞬間的にはなんだこれ? って思うことはあったはずなんだけど。

と考えてたら、そういう種類の感情が発生した事象そのものはもちろんちゃんと覚えてるのだけど、嬉しかった悲しかったとかのカテゴライズをしてないのかもしれない。

なんだろう。僕の場合、感情ってそのままあまり保存されてなくて、分解されて土になっていくイメージ。またよくわからないこと言ってます。

土の中にはいろんな土壌微生物がいるように、自分の中で感情微生物がたくさんいて、分解して何かのエネルギーに変えたり、他の微生物と結びついて全然違う働きをしたり。土が微生物の力を借りて自分で自然な抗生物質をつくるみたいに。

ちなみに土壌微生物って、いろんな菌類(カビとかきのことか)、細菌(バクテリアとか)、放線菌、原生動物(アメーバみたいなの)などのことで、たった1グラムの土の中に細菌だけでも100万種以上、数十億の数が存在するという宇宙みたいなことになってる。すごいよね。

たぶん、こういう話って読まれないからここでやめとくけど、嬉しかったこととかいろんな感情が土に還って、自分の書くための土壌になってるのは確か。

みたいなことを、もっとちゃんと伝えられたらいいんだけどね。