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カニカマ寮の話(再放送)

学生時代、寮に住んでいたことがある。正確にはクラスの友人の代わりに一時期だけ住んでいた。

その寮は一応、大学の公式な寮のひとつということになってはいたけれど、どこが運営しているのか誰もちゃんと知らない。それでも寮費の安さと食堂でご飯が食べれることで入居者は多かった。

寮は三階建の何のデザイン性も感じられない建物で、何かひとつぐらいは好きになれそうな意匠だとか(それが無機質なデザインであったとしても)、建物から見る風景だとかがあってもよさそうなのに、まるで思い浮かばない。

これが、相手のいいところを書き出してみましょう的な研修なら地蔵になるところだ。

僕はその寮と大学を行き来する度に、東欧の旧共産圏にある建物のほうがまだ何かしら美意識を感じるのにと思っていた。

そもそもはクラスの数少ない友人が、大学をしばらく休んで北海道で漁を手伝うというので僕にその間、住んでくれないかと頼んだのだ。バイト? と聞くと、みたいなものと友人は言った。

休学でもなく、寮に誰でもいいから住んでいないと追い出されるかもしれないからという。わかるようなわからないような理由だ。

僕はべつにいいけど、誰でもいいからって寮の規則的にそんな緩くていいのだろうか。僕が確認しても友人はとにかく誰か住んでれば問題ないからと、さっさと枯草色のcaravanのリュックに荷物を詰めて旅立っていった。

たしかに友人が言い残した通り、僕が代わりに住んでも、誰も咎めるどころか気に留める人もいない。寮の食堂だって使えてご飯が食べれた。その日の朝食と夕食が必要ないときだけ申告するシステムらしい。

おや? と思ったのは3日目ぐらいだった。

その日の夕食メニューはクリームシチューだったのだけれど、セルフの配膳カウンターにカニカマがこんもり盛られていた。みんな当たり前のように自分のお皿にカニカマを取り分けている。

その前の日もあったのだけれど、煮魚の和食メニューだったのでとくに何も思わなかったのだ。カニカマだけ別で盛られているのが「ん?」とは思ったけれど、まあそういう配膳の仕方もあるんだろう。

次の日もサーモンカツ丼とはべつにカニカマが提供され、その次の日にもシーフードカレーと別にカニカマがきっちり山になっていた。せめてサラダであってほしかった。

いくらなんでもこれは。僕は思い切って、斜め前に座っていた極度なツーブロックの髪をした学生にたずねてみた。何年生なのかは知らない。

「あの、ちょっと教えてほしいんですけど」

ツーブロックの彼は、週刊誌のマンガをめくりながらカレーを口に運ぶスプーンを止めて、見知らぬ海洋生物でも眺めるように僕をじっと見た。深海で出会ってもマンガ読んでそうなタイプだ。

「なんで、ここの寮っていつもご飯にカニカマが付いてくるんですかね」
「カニカマ寮だからに決まってんじゃん」

何言ってんだろこいつは、という顔で彼が僕に言った。

カニカマ寮?? この寮ってそんな名前だっけ。僕が混乱してると、彼はカレーを口に運ぶのを再開しながら「わかっててここ入ったんじゃないの?」と言う。

いや、わかるもなにも僕は代わりに寮にいるだけだし。

それっきりツーブロックの彼は僕には目をくれず、マンガとカレーの世界に戻って行った。

次の日も当然のように食堂ではカニカマが出された。昨日の彼を一応探してみたけれど見当たらない。よく見渡してみると、毎日のように新しい顔がいるようにも感じる。

全員が本当に同じ大学の学生なのかどうかも怪しかった。まあでも自分だって、本来の寮生ではないのだから偉そうなことは言えない。

翌朝。僕が目覚めると、部屋にリュックが置いてあるのが目に入った。枯草色のcaravanのリュック。

友人が北海道から帰ってきたのだろうか。寝ぼけ眼で見渡してみたけれどけれど部屋に友人の姿はなく、隙間から入り込むぴしぴしとした冷たい海風が頬を叩く掘っ立て小屋の中だった。

染みだらけの板壁で覆われた小屋の中にいても、外が鉛色の世界なのがわかる。

底意地の悪いとしか言いようのない寒さが立ち込める小屋の中で僕が震えていると、小屋の扉が勢いよく開き、知らないおっさんが仁王立ちで僕に言った。

「カニカマ漁の時間だべ?」


※昔のnoteの加筆再放送です。