僕は○○が書けない
いちおう文章を書いて食べてる人間なので、たいていのものは書ける(と思う)。それこそロケットサイエンスでなければ。
いや、ほんとはこの使い方は間違ってるのだけどきょうは直すHPが残ってない。
何の話だっけ。そう、書けないものの話。
端的に日記が書けない。日記って何だっけぐらいのレベルだ。一応、なんとなく日記の定義は個人が日々の出来事を記録したものなんだろうと思う。
じゃあ定義がわかったから書けるかというと、これがまあなんとも書けないのだ。たぶんnoteでも純粋な日記って1個も書いたことない。
まず、冒頭を何から書き出せばいいのか。そこで小一時間ぐらい悩む。気の利いた山手線の運転士さんなら高輪ゲートウェイから品川まで内回りで運んでくれるぐらいの時間だ。
いや、日記なんてどんな書き方でもいいんだよというのもわかる。べつに決まった型なんてないのだ。
それも理解できていて書けないのだから、どうやら書けない理由はテクニカルなことではないんだろう。
そもそも文章を書いてる人間の日常なんて、ほんと日記に書くことがない。「きょうも原稿を書いていました。おしまい」になってしまう。これだったら「きょうもずっと空を見上げていました」のほうがよほどいい。
なにより、もうすでに文章を一日中書いてるのだ。文章を書いていましたという文章なんて、きっと読む人も頭痛が痛くなってしまう。
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そんなわけで僕は日記を書かないし書けないのだけど、たまにはたぶん日記っぽいことが訪れたりする。
きょうも原稿を書いてたらタヌキの親子がやって来た。
べつにこの辺でタヌキは珍しいものでもないのだけど、昼間に親子でやって来るのはあまりない。タヌキって夜行性ではなかったでしたっけ。
うちの畑のほうにタヌキがとてとて向かっていったので、一応様子を見に行く。
僕の姿に気づいたタヌキは逃げるかと思ったら逃げずに、まだとてとて畑を歩く。ちょっと間を詰めてみると、仔タヌキは立ち止まって僕の顔をじっと見つめる。
フリーズしてという感じでもなく、ほんとに見つめてくるのだ。この人はいったい自分に何の用があるんだたぬ? という感じで。
スマホも持ってたので写真でも撮ればよかったのだけど、至近距離でタヌキにじっと見つめられるとなぜか何もできなくなる。周りの音が吸い取られていく。時間が止まる。
これが、あれなのか。昔話なんかでタヌキに化かされるというやつ。
他の動物では、そういう感覚にならないのだけど。とりあえずタヌキと出会っても見つめ合ってはいけない。そんな教訓を得た一日。おしまい。