僕が小説を書けない理由
技術的には書ける。書き方も知ってる。たぶん。
仕事で頼まれて書いた小説だって何冊もある。ライトなのから、そうでもないものまで。
「売れること」が命題な小説(小中学生から大人まで幅広く読まれるやつ)も書いてきた。とあるシリーズは累計100万部超えていまも地味に重版してる。もちろん、僕だけの力ではないけれど。
なのに書けない。またちょっとこいつ何言ってんだが始まってるけど。林さんにもちょいちょい「ふみぐらさん小説書かないの?」って聞かれてるのだけど、その度に僕はちょっと困ったような顔をしてるらしい。
そもそも、なぜ自分は小説家ではないのか。言い方を変えれば、なぜ小説家を目指さないのか。
たぶん、書くとしても読まれにくいタイプのものを書くから。わかりやすいテーマでもないし、日常と非日常のはっきりしないものを書く。
かといって異世界ファンタジーみたいに振り切ってもない。よくわかんないものを、そのままよくわかんないように書く。
人によってはどうでもいいもの、判断がつかないもの、社会的な価値のないもの。あるようなないような世界にも通じる何か。価値は不明だけど何か気になる。そこを書くから売れる気がしない。
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売れないから書かないなんて不遜極まりない考えかもしれないけど、小説に関してはそこはある。
だいたい、いまの「出版界隈」において、特に慣行的な意味での界隈においては「売れるのか」は外せない。あるいはSNSやメディアで表に出るような話題性があるか。
まあ、そこを掘っていくと実も蓋もない話になるんだけど。
基本的に「大多数」の読者獲得を慣行的な出版界隈では目指して動いてる。最初からニッチな少数の読者さえ得られればいいとはあまり考えない。
もちろん、そうでない伝統に支えられた出版社や「読みたい人にちゃんと繋がる」新しい出版形態の取り組みをしてるところもある。
ただ、多くの人がイメージするメジャーな出版界隈はいまだに「売れる正義」が結構強い。そうなると、どうしたって「売れる要素」が入った作家なり作品でないと企画も通らないし、営業からも弾かれる。特に無名の作者の場合は。
あと、こういうことを書くとツンデレ的に本当は売れたいと思ってるから、そういうことを反転的に言うみたいに思われることもある。
正直な答えとしては「どっちでもいい」だ。本単体で考えたときに売れることも否定しないし、売れないから本の価値がないとも思わない。
あと、現場の書店でも売り方が見えないと「棚」の展開に困る。いったい、どう売れる本なのか(それは本の内容に限らない)が明確に打ち出されてないと配本→一度も棚に並ばずそのまま返品コースだってあり得る。ここの話も闇が深い。
「大数の法則」にも近いかもしれない。数の大きなものを扱う、大勢の読者獲得を目指すと結局は母集団の平均に収束していく。
別の言い方をすれば数学的な意味やビジネス的な意味も含めた「最大公約数」に乗った本。小説。
それはとくに読むのに思考や体力を削られることもなく安心して読めて、どういう読後感が得られるか最初からイメージがつきやすいもの。
そういうのに僕が書くものは乗ってないから。
ごめん。こういう話、興味ないね。
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浅生鴨さんも何かで呟いてたけど、本って本来は「売るもの」じゃないんだろう。
高度成長期に「ベストセラー」の概念が浸透してセンセーショナルなもの、実体よくわからないけど何か新そうなのを取り上げた本が「売れた」記憶や文脈がどうしたって受け継がれてるのかもしれない。
本が売るものじゃなかったら何なのか。
「売る」というより、ひそやかな言葉で誰かから誰かに届けられるもの。売るというより、抱きしめられるもの。
また意味のわからないこと言ってるけど、わりとそうだと思う。「売れるため」の仕組みから逸脱したところに、もしかしたらこれからの「本」があるのかもしれない。小説ももちろん。
もっと言えば、そこでは新しさも古さも関係ない。ちゃんと生きる人が(それは順風満帆とかではない)身体ごと読みたくなるもの。
僕が書く小説らしい断片も新しくはない。もとからある、けれど見られてない世界。
そういうのも、売れる売れないを超えたこれからの「本」の世界でなら、少しは息ができそうな気もする。