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自分に迷惑をかけない生活様式について
だいたい全方位からツッコミが入る言葉は「言葉がちゃんと立ってない」のが多い。「新しい生活様式」なんてまさに。
基本的に時事ネタは遠くから見守るスタンスなのだけど(ものかきとして)、これはさすがにあかんだろう。
言葉が立つってどういうことか。
広告や書籍、雑誌なんかでも「このタイトル立ってる」とか「それじゃリードが立たない」なんていう。
感覚的に使われることも多いので「言葉が立つ」の定義ってあるようでないけど、感覚的に表現するなら、そこにその言葉があってちゃんと文脈上の役割を果たせて言葉の受け手に何らかの態度変容をさせられること。
って書いてもわかるようでわからないですね。
たとえば、あの宇宙的ベストセラーの『嫌われる勇気』も、元もとは『無意味な人生に意味を与えよ』みたいなタイトルになりかけた。このタイトルで買いたくなるだろうか。
コラムのタイトルなら「あり」かもしれないけど、書籍のタイトル、しかも出版当時はほぼ世間から知られてなかったアドラー心理学ってことを考えると、それではまったくタイトルが立ってない。
出典:『天才編集者・柿内芳文ふたたびっ!?いま明かされるあのベストセラー「嫌われる勇気」誕生秘話!』
これが『嫌われる勇気』になった途端にタイトルが立つ。もちろん、この場合の立ち方はちょっと特殊球なのだけど。そこの話をするとタイトル講座みたいになるので今回は飛ばします。
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まあ、端的に言えば「気になる」っていうこと。スルーできないというか。その言葉(タイトル)の中に息づく「何か」をすごく感じさせる。
で「新しい生活様式」だ。いや、SNSで一瞬トレンドになってんじゃんって思うかもしれないけど、この場合のトレンドはネタとしてだ。よくある大喜利で盛り上がるタイプ。
それを狙っての言葉ならべつにいいと思うけど、たぶん偉い人たちが打ち出したのはそういうことじゃないと思う。言葉だけバズったって意味がない。
本当にみんなが「新しい生活様式」をそれぞれの環境とか与件の中で「考える」「スタイルにする」したくなるところに持っていければいいけど、いまのところそうなってない。
それだとやっぱり言葉としてちゃんと立ってないんじゃないか。
もちろん「新しい生活様式」がカバーする中身がまったく無意味ってことでもなく、中には本当に(いつまでかはわからないけど)必要なことも含まれてるのに「新しい生活様式」では、それやろうよってならないのが厳しい。
言葉がふわっとしていて何か言ってるようで具体的なものが何も思い浮かばないやつ。タイトル会議とかではまず通らないタイプだ。
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じゃあ、お前はどうするんだ。否定だけなら誰でもできるので自分でも考えた。
僕が考える新しい生活様式は「自分に迷惑をかけない」だ。
え、なに言ってんですか? と思われるかもしれない。他人に迷惑をかけないの間違いじゃないのかと。
いや、わりと真剣にそう考えてる。他人に迷惑をかけずに生きるってウイルス次元から考えたらかなり難易度が高くなってしまう。例のやつが収束してもまた別のかたちで同じようなことが起こる可能性だってゼロじゃない。
そこまで考えて「他人に迷惑をかけない」だと、本当にもう何もできなくなる。
だから、具体的に「自分のためにやったほうがいいこと」「周りのためにやったほうがいいこと」を本質的、根源的なところから考えてちゃんとやる。
自分をちゃんと生きる。自分の迷惑になるようなことはしない。それは結果的に自分の周りにも迷惑にならないし、新しい生活様式になるような気がするんだけど。