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頭のネジについて
頭のネジが飛んだという表現。あの人、頭のネジ飛んでるよねとか言う。自分でも言われたことあったかな。わからない。
ネジはふつう、緩んだり外れたり折れたりはあるけど飛びは絶対しない。ネジの構造と概念的に。それが「飛んで」しまうのだ。すごい表現だなと思う。
あ「ネジって何?」って思う人もいるかもしれない。
自分のアイコンから流しそうめんマシンまで自作できてしまう仲さんとか仲さんとか工作系の人はネジがある日常にいるけど、そうじゃないとあまりネジが身近な存在にならないかもしれないから。
ネジはあれです。こう螺旋状の溝(スクリュー)が切られてて、それを回転させて物体を固着させる機能の総称。
人間にももちろんネジは付いていて、とくに頭のネジは大事。あまり知られてないけど。緩くなるぐらいならいいけど、そんなのネジが飛んでしまったら大変だと思う。
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僕も気を付けてはいるけど、飛ぶはずのない頭のネジが飛んだ瞬間を想像することはある。
きっと、自分でも飛ぶなんてまったく思ってもなくて、その瞬間も自分でも理解できなくて、だけどなんかすごい何か自分の中で突き抜けてどこかアンコントローラブルになってるのだけはわかる。そんな状態なんだろうな。
それが「いいこと」を引き起こしてるのなら「あの人、天才」って言われるし、そうじゃないことならみんなそっと離れていく。
僕の好きな古い小説にヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転(The Turn of The Screw)』がある。
定期的に何度も読み返してしまう作品のひとつ。昔、どっかの空港で読んでたときは本から戻ってこれなくなって、うっかり乗り遅れそうになったこともある。
ネタバレになるので中身は書かないけど、いまだにこの小説はいろんな意味でふしぎだなと思ってる。読むたびに本のジャンルを固定していたネジが飛んで変わるのだ。
まあ心理ホラー小説の嚆矢というのはだいたい変わらない評価だけど、それだけじゃない何かがいつも読後に付きまとう。
邦題として『ねじの回転』になってるのもいい。いまなら変な「ひねり」を効かせた邦訳タイトルになっててもおかしくない。それをせずに『ねじの回転』とだけ突き放したようなタイトル。
日常の中でネジはふつう、そんなに注目されない。何かにきちんと固着されてるから。でもそのネジが実は見せかけだったら――。
あたり前のようにあるもの、何とも思わない関係性、空気のような存在。そこに見えないネジがあって、そのネジを何かが外そうとしている。いったい何のために?
『ねじの回転』を読むとそんなぞわぞわした気持ちになる。
ネジには固く締まってる状態から緩んで抜けるまでの一生がある。ときにはミラクルで飛んでしまったり。案外、人間っぽいのかもしれない。