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星野源予報

「ねえ、きょうの天気なんて言ってたー?」

洗面所で顔を洗っている妻の声が飛んでくる。

「え、わかんない。晴れ…なんじゃない?」

僕は、ちらっと窓の外を見ながら適当に答える。若干、クレープを薄く伸ばしたような雲が流れてるけれど、晴れてることは晴れてる。

「君の感想じゃなくて、天気予報! どう言ってた?」

洗面所の鏡越しに映った僕を妻が疑わし気に見て聞いてくる。

きょうはちょっと朝起きるのが遅かったので、いつもの天気予報のお姉さんに間に合わなかったのだ。

「見てない。自分の携帯見ればいいじゃん」

スマホを見れば時間ごとの天気だってすぐにわかるのだから、と思いながら僕は言う。なのだけど、その答えでは妻が納得しないこともわかっている。妻はテレビの天気予報派なのだ。

すごくテレビっ子というわけでもないけれど、なぜか天気予報だけはテレビで見ないと気が済まないらしい。

「気象予報士さんが言ってくれると、そうなんだって思えるんだよね。雨でも晴れでも。自分でスマホで見てもさ、なんか納得できないっていうか」
「べつに、データ一緒じゃん」
「かもしれないけど、なんか違う」

以前、なんでテレビの天気予報じゃないとダメなの? と僕が聞いたときに妻はそんなふうに言っていた。

「いいよ、どっかでやってるかもしんないから」

妻はぱたぱたとダイニングにやってきて小さなテレビをつけ、天気予報をやってそうな番組を探す。

だいたい朝の番組は天気予報のコーナーじゃなくても画面の隅っこに、地域の天気がテロップで表示されてるからそれでもいいんじゃないかと思うけれど、それではないのだ。

朝から謎のテンションで爆笑しているスタジオの声がチャンネルを切り替えるごとに、ダイニングの空気と混ざって変な気体のように消えていく。

「――はい、ではもう一度最後に今日のお天気どうでしょう? カワムラさん!」

司会者の男性アナが気象予報士のお姉さんの名前を呼ぶ。ちょうど番組の終わりに天気予報のミニコーナーをやっていた。

カワムラさんは、どこかの街角で晴れマークイラストの描かれたフリップを持ちながら「はい、きょうまでなんとかお天気のほう持ちそうです!」とスタジオに向かって答える。

「午後から少し雲が広がってきますが、傘の心配はなさそうです。移動性の星野源に覆われておだやかな一日になるでしょう。ただ明日は、星野源が東に遠ざかり西から――」

ホシノゲン? 空耳だろうか。いや、だけど二回もそう言ったし。

僕は妻のほうを見る。彼女はとくに何とも思っていないようだった。ちゃんとテレビで天気予報が見れたのに満足しているのだろう。

移動性の星野源。どこまでもポップでつかみどころのない陽気さ。

晴れは晴れなのだけど真夏の太平洋高気圧や真冬のシベリア高気圧みたいに強い力で何かを溶かしたり、閉じ込めたりすることもない。

どこかに薄い低気圧も隠れていて、晴れているのに少しばかりの翳りも漂わせている。哀しみの笑顔を秘めたうつろな天気。空の端から日常という雲がちぎれ去る。

おはようの空、生活の苦味も泡立てたラテの中に溶ける。

そのまま続きそうで続かない日常。気がつくとテレビも消え、しんとしたダイニングで妻の食べかけのトーストに朝日がちらちらと差し込んでいる。


※昔のnoteのリライト再放送です