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お気持ちとしての肉球について

きょうはハンコの日だった。まあ、こういう話もこの人なに言ってるんだろうって思われるのだろうけど。短い雑記。

たぶん、ほとんどの人が興味ないのをいいことにつらつら書いてる。

三が日(この概念ってまだあるのかな)だけど、村の仕事は始まっていて、きょうは会計監査があった。第三者の監査委員の方々に、去年一年間の会計データと帳票類、決算報告書の監査を受けて承認してもらう。

ここで承認してもらったものを今度は決算認定会議で代議員にも承認してもらって、最終的に総会で承認というプロセスがあるんだけど、その第一関門。

一応、年末に会計担当者と僕で最終チェックをして問題ないのを確認してるけど、それでも何か指摘事項があれば対応しないといけない。

もうすでに、自分の仕事も総会に向けての村の仕事も、やることが列をなして待ってるので(そこはソーシャルディスタンシングを取ってくれない)、なんとか何もないことを祈ってたら、見事に何ごともなく承認された。

今年の会計担当者の先輩が優秀なのであって僕はその恩恵にあずかってるという話なのだけど。

で、最後に適正な監査が行われたことを記録に残すために、監査委員の方々の署名と押印をいただく。

そう、いま何かと問題視されがちなハンコを押すのだ。

実際、身近なところでも都市伝説かと思ってたエクストリームなハンコ出社の話も聞いてるし、そこは「紙」をなくしてくれたまえと思うことも仕事をしていてなくもない。

フリーランスの個人事務所の事務も、ここ数年でかなーりデジタル化は進んでる(契約書もクラウドサインとか8割ぐらいにはなってる)し、実際やっぱり便利。いちいち物理で書類を用意して郵送してとか印紙がとか、そのためだけに時間を使うというのは減るし。

ということを言ってて矛盾するようなのだけど、監査が無事に承認されましたの物理的なハンコが押される瞬間もそれはそれで悪くない。

なんだろうな。気持ちの区切りがわかりやすいというか。

たとえばクラウド上で公開鍵暗号の電子署名(実際に署名するわけではないのでややこしいけど)がなされても同じことなのはわかるんだけど、気持ちという点ではよくわからない。

だからって何でもかんでもハンコ肯定派でもないし、大きな意味でのこれからの仕事をデザインしていく中では、ハンコ以外にもめんどくさいものはなくすことで新しいものが生まれやすいのはそうだと思う。

じゃあ、きょうみたいな物理的な気持ちの区切りってどうするのがいいんだろう。そこはまだ答えが見えない。

何か大事な仕事とかの区切りに、肉球スタンプを押してくれる猫さまのサービスとかがいいんだろうか。

でも、これはこれで肉球押して欲しさに出社が増えてしまう。悩ましい。