あんドーナツを食べずにあんドーナツを食べる方法
土曜日の夕暮れ(しかも師走でnote酒場の日だし)はさらに人通りも少ない僕のnoteなので、微細な話。
お菓子メーカーの「あんドーナツ」が好きだ。洋菓子店のでも和菓子店のでもなく、スーパーなんかで流通してるタイプの個包装されたあんドーナツ。
突然の告白で申し訳ありません。そんなこと言われましても知らんがなだ。僕もそう思う。
人からは「イメージに合わないね」とか言われるけど、好きなものは仕方ない。
若かりし頃なら、メンズであんドーナツ好きなんて、なんとなく恥ずかしいような感じがして「あんドーナツなにそれおいしいの?」という顔をしたかもしれないけど、好きなものは好きと言えるぐらいには大人になったのだなと思う。
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それはともかく問題は、あんドーナツが食べたいと思っても手に入らないときがあることだ。
こんなに僕の中で人気なのにあまり売ってない。コンビニ行けばあるじゃんと言われるけど、コンビニで売ってるのは小さすぎるのだ。ドーナツというからには、せめて20秒ぐらいは眺めてたくなる大きさがほしい。コンビニに罪はないのだけど。
スーパーに行けばもう少し大きなドーナツも売ってるけど、牛乳ドーナツとか豆腐ドーナツというトランスフォームをしてしまっている。なんでふつうに「あんドーナツ」のままじゃだめなんだろうか。
これだけいろんなスイーツブームか来ては去って行ったけど、あんドーナツがきてるという話は聞いたことがない。きっとこれからもこないんじゃないかという気がする。
あのミスドにも、あんドーナツは置いてないと知ったときはわりと驚愕した。昔は、それっぽいのがあったらしい。
だけどお菓子メーカーの「あんドーナツ」にも問題はある。いくらでも食べれてしまうことだ。個人差はあると思うけど、なんなら1袋食べれてしまうぐらい(さすがにそれはしないけど)ブラックホールである。
この終わりのなさは何なんだろうと考えていて、ふと思い当たった。
もしかしたら僕が好きなのは「あんドーナツ」そのものなのではなくて、あんドーナツという存在のオルタナティブさなんじゃないか。
スイーツ系のきらびやかな宇宙にぽつんと佇む、地味な光に包まれたあんドーナツ。
かつて論議を巻き起こした「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」のように、僕はあんドーナツを食べたいのではなく「あんドーナツという存在」をちゃんと食べたいのだ。
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いまのところ、形而下のあんドーナツを食べる瞬間だけ「あんドーナツという存在」を確実に感じることができる。
食べる前のあんドーナツは、まだあんドーナツではないし(なんなら中身がピロシキかもしれない)、食べたあとのあんドーナツは形而上のものなので、そもそもあんドーナツとは呼べない。
あんドーナツの存在を感じるには、あんドーナツを食べ続けるしかなくて、あんドーナツを食べずにあんドーナツを食べる方法は残念なことにまだ見つかっていない。