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エラーはプロの仕事

これも最近、よく考えてるテーマのひとつ。

まあ、だいたい何か考えてる。目の前の仕事と関係ないことがほとんどだけど。

エラー。意図しない間違いとか結果。そんなつもりじゃなかったんだけど、変なことになってしまうエラー。よくある。

こうやって日々書いてるnoteだって、考えようによってはエラーみたいなものかもしれない。自分でもよくわからない方向に「何か」が進んでしまって戻ってこないことも珍しくないし、思ったとおりになんてならない。

まあ、noteの場合は「生きるための仕事」の一部なので、絶対こうならないといけないなんてこともないからいいのだけど。

これが「ちゃんとした仕事」だと、そういうわけにはいかない。目的が達成できずエラーが多発する仕事は基本的にあり得ない。

パン屋さんが毎日、パンを焼き上げるはずなのに、オーブンの蓋を開けたらなぜかカマボコが焼き上がってしまったら大変困る。エラーだ。

ライターだって書き上げた原稿が、1ミリも何が言いたいかわからないことになってたら致命的エラーだ。

どんな職業であれプロはそうならないように仕事をする。

のだけど、ここで結構勘違いがある。エラーは悪で、エラーなんて限りなくないほうを目指さないといけないというやつ。

いや、そのとおりなんだけど、その考え方だけだと難しいんじゃないか。

僕が、たまたま何カ月とか何年にもわたる取材やなんかで教えを乞うことができたプロたちは、むしろエラーを遠ざけてはいなかった。

一回会って話を聞いただけだとそこまでわからないけど、何度も取材や対話を重ねていくとどうしたって出てくる。

変な言い方だけど本物のプロほど「ちゃんとエラー」をしていた。

ちゃんとというのは自分でリカバリできるようにエラーすらも自分の「技術」の中に入れてしまっていた。

だから意図しないエラーが起こっても、その事象そのものに慌てるとか自分が呑み込まれてしまうことはなくて、エラーとその後のアクションを切り分けられる。

ある人は、そのことを「エラーをしないのがプロなのではなく、起こるエラーをすべて知ってるのがプロ」と言う。

エラー発生の可能性があるから、そこも含みで最初から想定して動く。たいていは、それで回避できるし、どうしても回避できなくても、リカバリ方法をいくつかこれもわかってるので何とかできる。

だからエラーを軽々しく「なかったこと」とかにはしないし、だからって無意味に落ち込むこともしない。

そうではなく、自分の技術を高めるだけでなくちゃんとエラーのことも考えて研究してるのだ。プロの仕事の一部として。