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「いい会社選びなさい」という呪いをかける親にひと言

缶コーヒーのCMで「世界は誰かの仕事でできている」というのがあった。悪くないコピーだし(上からじゃないです)、缶コーヒーの世界観的にもそうだと思う。

日常の何気ないこと、たとえば自販機で何か買ってちゃんと出てくるのだって、商品を運んで来て補充して管理する誰かの仕事があるから成り立ってる。だいたい世の中、何だってそうだ。

だからすべての仕事は尊いとか、そういう話ではない。もちろん、その通りではあるんだけど。

世界は誰かの仕事でできているのはベースの部分であって、それだけだと「とりあえずやれって言われたからやりました」な仕事や、「がんばってやってはいるけどこのままでいいのかな」な仕事もそこに吸い込まれてしまう。それって、なんかおかしくないか。

なんでこんなこと書いてるかというと、最近、新卒1年目とか2年目ぐらいの子たちの話を聞いていて気になることが多いからだ。

「もっとちゃんと仕事できるようになりたい」
「お客さん対応がうまくできるようになりたい」
「早く認められたい」


そんな話はすごく出てくる。今の子は外向きに「この場合は何が正解で」をちゃんと考えて言語化できるのを差し引いても、そういうことに頭を巡らしているらしい。

なんだろう、すごく現実的だな。上司や先輩からそういうことをいろいろ求められてるのもわかる。

だけど「もっと、ちゃんと~」と言ってる彼ら彼女たちの目が決して楽しそうではないのだ。あまりにも現実ドリブンすぎて苦しくなる。実際、苦しいのかもしれない。

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今の時代、いろんな意味でみんな余裕はない。余裕のない中でも「ちゃんと」やらないと、もっと余裕やらいろんなものがなくなってしんどくなる。だからさらに「もっとちゃんと」のループ。

そして、そういう環境になってる会社も外から見れば決してブラックではなく、むしろ「いい会社入れてよかったね」と言われるようなところが少なくない。就活のときも親や指導者が「いい会社選びなさい」と念を送ってるから、ちゃんとそれが成就しているのだ。

そうやってせっかくみんなから「いい会社入れた」と思われてるのに、そこでちゃんとやれないと自分がダメに見られる。楽しくないほうの沼だ。

みんな一人ひとりは、いい子(この表現もあれだけど)が多い。だから余計にもったいないなと思う。

だからって僕がどうこうできないけど、それでもあえて言うならこう言いたい。とくに就活生の親に。

「いい会社選びなさい」より「いい仕事できるようになりなさい」とそれだけ言ってあげて。

Good job, actually, is everywhere.

世界はいい仕事でできているから。