移住は生きることだから
心の中で首がもげた。リアルだ。移住という宇宙(地続きのはずなのに、どっちかが異星人かよって思うようなことが現実にある世界)がそこに書かれていたのを読んで自分事みたいに感慨にひたったのだ。
嘉晶(Yoshiaki)さんの書かれてた記事がそれ。
よくある「移住して良かった、良くなかった」みたいな話じゃない、もっと根源的なところに触れる話だ。
自分がここで何をしたいか、何をして生きていきたいのかという軸、芯があることが大切で、それがないと、”納得して”住むことができない
それと合わせて深く納得したのは、特に地方では、そういった軸が感じられない(伝わらない)移住者に対して、「あの人はどうやって生きていく(食べていく)んだろう?」と心配されてしまう傾向がある、という指摘。
ほんと、そうだよなと思う。僕も最初から見えてたかというとよくわからない。だけど「移住したいから」が先に来るんじゃなく「こう生きたいから」だけは常に目の前にあった。
その話を書くと長くなるので、今日は書かないけど、なんていうか「人間(自分)をまるっと使って」生きたくなったのだ。
自分をそんなに無理して使わなくても、便利に生きていけるように世の中がアップデートしてきたのに、なんだか逆のことをやろうとしてる。リバースエンジニアリングだ(意味が違う)。
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身を置きたかった景色は、生きることと生活することと仕事がぜんぶ繋がってる世界。究極的には「生きることが仕事」みたいになればいいな。そのための移住。だから軸はあるのだけど、まあそんなのなかなか人に理解されない。それが当然だと思ってるけど。
ただ嘉晶さんが書かれてた、軸が伝わらない移住者は周りから「あの人はどうやって生きていく(食べていく)んだろう?」と心配されてしまうというのは、ほんとにそうなのだ。
僕も、似たような経験をnoteに書いたことがある。
僕の場合は心配されるというより、職業そのものが認識されないという問題だったのだけど「食っていけんのか?」の本質は同じなんじゃないかと思う。
地方では(と書かないと文脈が成立しないのでそう書くけど)、基本、「生きるための仕事」というのが言葉以上にリアル。生きることと仕事、その仕事と人間が想像以上につながっている。
そこって、なかなか「移住を考えてます」というフェーズでは見えないし実感するのが難しい。
でも、できることはある。
「生きることと仕事と自分という人間」がひとつになる。それが、周りから見てても自然に伝わるようになる(だからってすごく前のめりにならなくてもいい。自分のスタイルで)イメージも持ってると、そんなには心配されないんじゃないかと思うのだ。