聞きたくなるように話そう
懐かしい「KY」についての短い話。空気を読む読まないって、どちらかといえばネガティブな文脈で使われる。
一昔前に流行った(というのだろうか)KYっていう言葉が象徴的。
場の空気を読まずにズレた発言をしたり、あえてそこで言わなくてもいいことを言ったり。そういうのは「空気を読まない、読めない=KY」として忌み嫌われる。
一方で「空気読めとか無理じゃないのか」「そういう日本の同調圧力がいろんなものを抑圧してる」という否定派もいる。
これって人の話を取材したり、ファシリテーションしたり、原稿書いたりする立場からは「どっちもあるよな」と思ってて。
空気を読むことで当事者も含めて全体の利益になることもあるし、あえて空気読まないことで突破口が開けて、その場はざわついても最終的にいい結果になることもある。
空気を読みすぎても良くないし、読まなさすぎても良くない。
まあでも、そういう微妙な加減を読むこと自体が、なかなか難易度高いという考え方もできるのだけど。
ただ、あえて言えば、実は何かを発信するときには、ある種の「空気を読む」ことは必要な能力なんじゃないか。
もちろん空気に萎縮して言うべきこと言わないとかではなく。
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自分が第三者に何かを伝えたいとき。とにかくひたすら自分の主張、想いだけを全方位に撃ちまくっても、たぶんほとんどの場合みんなは避ける。
なぜなら一方的な話って、聞くのも読むのもしんどいからだ。
この前もあるところで久しぶりに「あ、これみんなしんどいと思ってるやつだ」が漂う場に居合わせた。
誰もが「この人の話、早く終わらないかな」と思いながらそこにいる、あの空気。
そこでは、とあるおじさんが一生懸命、思いの丈を訴えている。おじさんがヒートアップするほどみんなが俯き、誰も反応がなく、みんなが離れているからさらにおじさんが熱量を増やし、それでまたみんな引いていく無限ループ。
おじさんは、みんなの反応がないことに対して「意識が低い」と感じてたようだけど、そうじゃない。聞きたくなるように話してないから、反応がないのだ。
聞きたくなるように話すには、それなりの訓練というか経験、テクニックがいる。聞き手の課題感に合せてから話すとか。だけど、そもそも「聞きたくなるように話す」マインドセットがされてないと難しい。
自分が言いたいことを一方的にぶちまけて、聞く耳を持たないほうが悪いぐらいのマインドだと永遠に溝は埋まらない。
だからこそ、そこはあえて「空気を読む」が必要なんだ。
どんなアプローチなら反応があるのか、つかみは何が最適なのかとか、相手や場の空気を読んで話す。そこはむしろ空気を読んでいい。
これって、「読みたくなるように書く」とも構造としては同じなので、盛大にブーメランなのかもしれないのだけどね。