陽気な酔っ払いが地球を回す
「もう一軒行こう!」
全僕の中で一度は言ってみたいセリフ第10位がそれだ。
もう一軒行こう! こんなことを酔っ払いながら陽気に言える人がうらやましい。たぶん、一生言うことないだろうなと思いながら、それでも一応そんなセリフを吐いてる自分を想像してみる。
大森の地獄谷とかで、赤ら顔の僕が誰かを引き連れて飲み歩いている。一軒目からまあまあ飲んでちゃんと食べるので、本当はもう帰りたい。でも、それだと「もう一軒行こう!」が言えない。
飲みに行って一軒しか店に寄らないのは、飲んでるうちに入らないのだろうか。だったらファミレス飲みでいいんじゃないか。
巷では“せんべろ”の店もふつうになったけど、せんべろの人たちは何軒もハシゴして、それぞれの店でせんべろするんだろうか。それだと“せんべろ”じゃなくなってしまうよね。でもそういうのは酒飲みには余計なことなのかもしれない。
きっとたぶん、「もう一軒行こう!」を言う前の僕は少し酔いながら、そんなことをひとり考えてしまう。自分だからよくわかる。
それで足元の覚束ないツアーコンダクターみたいに、旗の代わりにゲラの束を掲げてるところを想像したら、なんだか悲しくなった。
地獄谷はダメだ。せめて飲み歩くなら神楽坂にしよう。
でもどうやら場所の問題ではないらしい。そもそも、そんな感じで酔っ払うことがない。まあ飲んでるときは楽しいっちゃ楽しいのだけど、自分を忘れるほどは飲めないし酔わない。それで人生損してるのかどうかは知らない。
***
「もう一軒行こう!」っていつか言ってみたいよねーという話なんだけどさ。
妻にそのくだりを話したら、まあまあ真剣な顔でこう言われた。
「酔っ払いのおじさんたちは、もう一軒行きたいんじゃなく帰れないんだよ」
結局、僕はいまだに陽気な酔っ払いにはなれないでいる。