書いて生きること、のいろいろについて
あまり告知ってしないのだけど、きょうは珍しく限定公開ライブで話します。動いてしゃべってるヤギが観れるかもしれない。
テーマは(正式にこれという決まったものではないけれど)「書いて生きること、のいろいろについて」。
僕と嶋津さんは「ことばのアトリエ」という共同の作業場をもっている。
形而上の作業場なので、思念の鍵がなければ開けることができない。そして、たまたま何かの偶然で僕と嶋津さんが、同じ鍵を持ってることがわかって、それ以来たまにこの「アトリエ」でことばを捏ねるのだ。
「ことば」「文章」を生業としてると、ときどき自分の中に、どうしようもなく澱のようなものが溜まるときがある。
そんなふうに書くと、何かネガティブなものを思い浮かべるかもしれないのだけどそういうのでもなくて。
なんだろう。以前、僕のnoteでも書いたのだけど、ものを書く仕事って「肉体労働」と「頭脳労働」のどっちの要素もあって、それは比喩的なものではなく実際にそういうメカニズムなんだと感じてる。
で、仕事でものを書いていくと肉体的な疲労ももちろんあるし、頭脳的というか精神的疲労も重なる。
それは駄目なのではなく、当然あるものだ。まったく肉体的にも頭脳的、精神的にも疲労がないとしたら、その人はとんでもなくすごいか、適当にうまくやってしまってる。
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話を戻すと、ものを書いて生きていく中では肉体疲労、頭脳疲労はあってあたり前。この疲労は適切な回復方法を知っていれば、ちゃんと戻るし、なんならそれによってさらに書く力が強くなっていくようにもなる。
ちょうど筋肉がある種の強度で負荷をかけられると筋繊維が損傷し、それが回復する過程で自己修復力が働いて、以前より強い筋肉となるように。
ただ、ものを書いて生きる中で、その肉体疲労、頭脳疲労どちらにも当てはまらない、自己修復力も働かない「何か」が溜まることがある。さっき書いた「澱のようなもの」というのがそれ。
今回の公開ライブでは、そのへんの話を嶋津さんとします。
どんなものが生まれるのかは、僕らもわからない。毎回、土を捏ねるところから行われる「ことばのアトリエ」の作業。
でも、きっと観てくれるというか聴いてくれる人には、何かがつくられる瞬間を届けられると思うので嶋津さんのサークル『教養のエチュードしよう』と僕のサークル『これからのライター』メンバーの人はお時間があえばぜひ!
*オンラインCafeBarDonnaは、これまで数々のすごいなという人がゲストに出ている場なので、ヤギはたぶん最弱……。
*『教養のエチュードしよう』『これからのライター』サークル向けの限定公開ライブです。