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見えない声が吹き抜けた日
高速道路のレストエリアで喧嘩してたカップルの女の子が、突然フェンスを乗り越えて下道に走り去っていくのを見たことがある。
彼氏は茫然としていた。追いかけようにも自分の車はパーキングエリアに停めてある。それ以前に何が起こっているのか理解できなかったのかもしれない。
そのカップルがその後、どうなったのかは知らない。
『バグダッド・カフェ』という古い映画がある。1987年に旧西ドイツ(現在のドイツ)で制作された映画だ。ミニシアター系と呼ばれるやつ。
ドイツから夫婦でアメリカ旅行をしていたヤスミンは、道中で夫と喧嘩をして車を降りてしまう。こういう設定の映画はよくある気がする。いや、映画じゃなくてもあるんだろう。僕が目撃したぐらいなのだから。
ヤスミンはモハヴェ砂漠沿いのルート66をスーツケースを引きずりながら歩いていく。そういえば、いまのmacOS Mojave だけど、たぶんヤスミンはそんな未来を知らない。
映画としては、そこからルート66沿いにあるくたびれたモーテル「バグダッド・カフェ」にヤスミンがたどり着いたところから物語がはじまる。ある種の不条理と人間の純粋さが入り混じったおかしみと哀しみがスクリーンからあふれてくる。
好きな映画なのだけど、何がどう好きってうまく言えない。自分の人生を嫌いじゃないけどうまくその理由を言えないように。
*
そもそも『バグダッド・カフェ』を初めて観たのも、公開からずいぶん経って2008年にパーシー・アドロン監督が音楽でいうリマスタリング(映画の場合、なんていうんだろう)みたいに再調整した『バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズ・カット版』だった。
観たのは映画館ではなく、北の丸公園の科学技術館地下にあるサイエンスホール。よく考えると変な場所だ。いや、ホールはちゃんとしたホールなんだけど、この映画を観るのになぜここ? という。
それも、ある酒造会社の新製品の日本酒の試飲をしながら、日本酒にあったおつまみを食べリマスター版の『バグダッド・カフェ』を鑑賞するというイベント。情報量も多いしコンセプトが自由すぎる。
生きてると、たまにこういうよくわからないものに惹かれてというか呼ばれて(導かれるほうの)足を運ぶことがある。
観客の年齢層も高めだったので、その中では比較的若かった僕らはやたら酒造会社の担当者から日本酒のおかわりを勧められてた。わかるけど。
まあでも、変な空気の中で観た『バグダッド・カフェ』は良かった。
もちろん映画の存在はずっと前から知ってたし、テーマ曲の“Calling You”は油断してると不意に頭の中をよぎるように流れていく。何の前触れもなく。
この歌を聴くといつも誰が歌ってるんだろうと思う。いや、歌ってるのはゴスペルシンガー ジェヴェッタ・スティールなんだけど。そうではなくて、見えない何かが歌ってる気がするんだ。
なんだろう。春の森の中でも真夏の坂の上の交差点でもどこでもいいんだけど、何かが不意に自分の中を通り過ぎるのを感じて、その瞬間、見えない声が聴こえる。そういう経験が何度かあって。
そのときの身体に残る感じと“Calling You”が流れてきた感じが似ている。
身体は自分の意思より先に何かに反応してる。でも、それが自分では何に対してなのかはわからない。
たぶん、なかなかつかめない話なのもわかってる。でも、それでいいんだと思う。
見えない声はつかむことはできない。風のようにただ自分を吹き抜けていくのを感じるだけ。
風は神聖なもの。生きるために大切な何かを導いてくれるもの。
ネイティブな民には風の言葉がたくさんあるという。アイヌの人たちが寒さや氷についての視覚的聴覚的語彙をたくさん持っているように。
ことばは日々たくさん生まれどこかに消えていくけれど、見えない声と風、自分を通り抜けていったことばはたぶん忘れない。
僕は自分の足で歩きながら、見えない何かと歩いてる気もする。自分の人生は自分のものなのだけど、風の人生なのかもしれない。
そんな気がするんだ。いまもこれからも。
*
#noteリレー の20番目の走者になりました。僕にとっては全然まさかで。
基本、こういうのって遠くから見て楽しんでる側だからです。べつにスカしてるのでも斜めに見てるのでもなくて、中心にいるより閾の部分が好きだから。
なので、ヤギ郵便で奥村まほさんから思いがけないバトンが届いたときは「まじか」と。
受け取ったテーマは「風」。なんで奥まほさんは僕が藤井風が好きって知ってるんだろう。何なんw 偶然かもしれないし、もしかしたら僕も奥まほさんも知らないところで何かがすれ違ったのかもしれない。風に乗った声か何かが。
そんなふうに「風の声」みたいなのなら書けるかなと思って書きました。
奥まほさん、見えない声を届けてもらってありがとうございました。僕がいまさら言うことでもないんだけど、奥まほさんは美味しい「食エッセイ」を書く人。なんだけど、ときどきぴょこんと「ネギがはみ出したり」する。
ほんとうに匂い立つようなエモの食エッセイも、どうでもいいような話(もちろん褒め言葉)も同じスタンスで書いてるのが個人的に好きです。
そして次にバトンを渡す人。スペイン在住で世界の台所から『つくルンバ』を届けてくれている塩梅かもめさん。
スペイン家庭料理家でメディアで食記事を発信し、バレンシアを拠点に日本に向けて飲料・食品・食器の輸出業務を行う食の専門会社「オルカ・スペイン」を経営されてる方。
かもめさんの書かれるnoteも自分の中に残ってるのがたくさんあるのだけど、どれも、生きることと食べることが繋がってるのが好き。
生きてると、どうしてこうなったんだろうってこんがらがる日もあるし、ストンと穴に落ちる日、ただ空を見上げただけでしあわせが飛び立てそうな日、いろいろある。
その、どんな日でも、その日をちゃんと味わえるものを書かれてます。なのでお渡ししたテーマは「食べて生きる」。どんなものが味わえるのか、お腹を減らして待ちます。
ということなんですが、ほんと、滅多に参加できないバトンを繋ぐひとりに入らせてもらってよかったです。号砲を鳴らしたsakuさん、Thx!