山とごきぶりホイホイには勝てない
山を眺めるのが好きだ。
まあ、いまの仕事環境は視線を画面から外せば山が見えるから、好きでもそうでなくても視界には飛び込んでくるのだけど。
山を眺めていて見飽きるってことがない。不思議なことに。
べつにすごく山岳マニアというわけでもなく、ほうじ茶ラテ好きですねーというのと同じぐらいの感覚で山を愛でている。お茶と一緒にするな。
なんで山を眺めるのか。単純に癒されるからというのもあるけど、なんていうかその存在そのものの絶対性がいつも「ああ」と思う。
なんだろう。山って富士山みたいな超有名でフォロワー数も桁違いの山から、名もなき(たいていの山に名前はあるけど、ふだんは名前の意識もされないという意味で)山まで、どんな山でもちゃんとそこに存在理由がある。それがいいなと思う。
その山はその山でしかなくて、なんでこの山はここにあるんだろ。もっと他にあればいいのにとか思わない。山のアイデンティファイ。
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どんな山でも、そこにちゃんと存在するだけの意味がある。
みたいなことを山が語りかけてくるわけでもないけど、なんとなく自然にそう感じる。
自分がブレてるつもりなくてもブレそうかもしれないとき、山の存在を感じると不思議にブレが治まることもまあまあある。山による最適化だ。
できれば自分もものを書いている存在として、そういうふうになりたい。この文章は他のどこでもないここにあるのが自然だよなと。
誰にも意識もされないぐらい自然にテキストの道に入り込んで歩いてもらって、途中の眺めとか空気の変化、鳥の声とかヤギの鳴き声を感じながら気づいたら新しい場所にたどり着いてた。
そんな文章がいつも書ければいい。難しいけど。
もっと言えば『ごきぶりホイホイ』ぐらいのナチュラルさで自分の文章が手に取られたら素敵だ。
ごきぶりホイホイのネーミングも「山」だと思う。それ以外にないなという存在感。
発売前の商品名は当時の怪獣ブームで「ゴキブラー」だったのを、「もっと親しみがわく名前にしなさい」という会長の鶴の一声で『ごきぶりホイホイ』になったというのも有名な話。
山とごきぶりホイホイ。どっち側の人からも怒られそうだけど、どっちも「絶対性」があるよなとほんとに思うのだ。