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朝からドルチェを食べる人生

海外の食番組が好きだ。守備範囲広い言い方だな。

食番組といっても、海外食べ歩き旅(嫌いじゃないけど)とか、なんとかのキッチンとか、人気シェフのドキュメンタリーじゃない。

もっと市井の人の食が垣間見える番組。有名シェフの店でもなんでもなく、街のみんなの食堂が映ってたり、誰かの家の「見せる用」ではない食卓だったり。

それも料理だけにフォーカスしてるのではなく、その人の仕事とか生活とか、悩みやら喜びやらどうでもいいことも織り交ぜた「日常」の中で、食べることが出てくるのがいい。

まあ、そんなの「企画」としては全然通らなそうなのが見えてる。だって、ふつうすぎるから。

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ふつうの定義って何なんだって話は置いといて。ふつうだと番組として「画」にならない。そりゃそうだ。ご当地の貴重な食材とか、伝統を受け継いだなんとか、あるいは名人級の腕でその食材をつくったり、料理したりしてる。そんな華やかさがないと、誰にも需要のないロケになってしまう。

それはわかってる。でも、あえて海外のふつうの食をちらりと見てときめくのはなぜなのか。

きっと、たぶん食べることと生きてることがつながってるのが見えるからだ。なんだろう。食べることを人生の最重要事項のように楽しんでる。そんな空気がどうしようもなく伝わってくる。

つくり手の料理人だったり、料理するお母さんも「いろいろあるけどこれを食べたら幸せ。それは確かだね」そんな顔をしてる。

もちろん、みんながみんないつもそうじゃないだろう。憤怒しながらキッチンに立ったり、きょうはこれしかつくりたくない、適当でいいやという日だってあると思う。でも、それがデフォルトではない。

自分を楽しむため、自分が楽しいことはハッピーなことで、それはきっとみんなにもいいこと。だから自分を楽しむために食べる。そっちが基本にあるのって平和だし、いろんな意味で健康な気がする。

朝からドルチェを食べて楽しく生きられるなら、それもいいんだ。