狂詩的な食堂の居心地
道路に面した入り口は開け放たれていた。オープンな店のそれではなく、単純に暑いからである。
店内には不思議な箱状の業務用扇風機(ぬるい風が出ていたので扇風機なのだろう)が鎮座していて、エアコンなどないが、店の入り口と裏の庭園に面した古びた木枠の窓を開けておけば風が通る。それで充分だ。
昭和7年(!)に創業し空襲でも奇跡的に焼け残ったという食堂は、特にその歴史を自慢するでもなく、21世紀のいまも淡々と営業している。
メニューはあるようでない。店を切り盛りする親爺さんとおっかさんは、ガラスケースに入ったおかずの中から食べたいものを言ってくれたらご飯と一緒にテーブルに持っていってあげるからねと言う。謎のシステム。
それより謎なのは、どのおかずも値段が不明(ガラスケースには器に盛られたおかずだけが適当に並んでる)なことだけれど、どれも美味しそうなので、ここではみんな気にしていない。
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いかにも食堂マニアな客が親爺さん、おっかさんと記念写真を撮ったり、居合わせた他の客が「シャッター押しましょう」と言ったりしてるのを眺めながら食べる。
なんだろう、このレイドバックしそうな時間。
突然、カジュアルな感じで外人さんが店に飛び込んできて「Two beer to go」とオーダーする。近所に住んでるのだろうか。
親爺さん、おっかさんは一瞬ふたりで顔を見合わせ、そこらにあった紙に金額を書いて外人さんに示し売ってあげたりしている。ここ酒屋じゃなくて食堂だけど、そういう固いことは言わないのだ。
瓶ビールを2本、店の奥から探してきたレジ袋に入れた親爺さんは笑顔で「サンキュー」と言い、外人さんは日本人みたいに二度ほど頭を下げて出て行く。
そのあとでおっかさんが、瓶ビールの栓をどうやって開けるかしらねと気にしているが、親爺さんは「歯で開けんだろ」とか言ってテーブルで夕刊を読み始める。
東京はなかなか落ち着けないけれど、こういう下町の食堂の居心地は嫌いじゃない。多様性なんてワードがなくても、多様性ってこういうのだよなと思える。そんな中にしれっと混じって食べる煮魚は少し味が濃いけれど。