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いつだって健全な背徳感があるから
データがすべてと言ってくる人がふしぎだ。
データサイエンティスト的世界と真逆に生きてる僕みたいなライターでも、ときどき遭遇する。
データをどれだけ握ってるかで勝負できるとか、データがないと話にならないとか割と本気でぶつけてくる。
よく観察してみるとそういう人ってデータ信者の側面もあるけど、もっと根源的なところでは「人」に寄り添ってないんだ。あえて寄り添わないのか、面倒くさいからなのかはわからないけど。
人に寄り添わなくても、いろんなパワーバランスだとかロジックを使いこなして(そういう意味ではすごいんだけど)ある限定された関係性、状況の中でものごとを最適化する能力を持ってる感じがする。
僕はそういう能力を持ってないので、単純に「すごいな」と思う。
ただ、こっちの世界にも「データがすべて」を振りかざして来られると、やっぱり「ん?」となる。
「この表現のほうが優れている」のをデータで示してほしいとか。
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松本健太郎さんのこの記事。WingArc Forum 2019で開催された松本さんのセッション「誤解だらけのデータ・ドリブン」をnoteでまとめられたのだけど、ほんとそれな話で首がもげた。
データは事実だが、真実とは限らない。
データの「意味」を考えなければならない。
数字の裏側にあるデータ、例えば数字では表現し切れない価値も含めて、データドリブンしないと知りたい結論に辿り着けない。
松本さんが強調されてるのはあたり前のことなんだけど、「とにかくデータ」「機械学習」言ってる人は「そこ」をちゃんと考えた上での「とにかくデータ」なんだろうか。
有名な「マクドナルドのサラダマック事件」の例もあげられてるけれど、とにかくデータがあれば正しいと思って行動してるとひどい目に遭う。生身の人間の思考や行動に関することだと特にね。
どう考えたって人はいろんな矛盾を内包しながら、なんとか生きてるのだ。表面的には「正しく」。じゃなければ悩むこともないし、矛盾があるからこその人間っぽい出来事も起こらない。
マリナ油森さんのこのnoteだって、正しいか正しくないか「データ」で表すことなんて4億年かけても無理だと思う。
思わず「知らないです!ブラックサンダーであんなことするなんてほんとに知らないです」って走って逃げだしたい。
人間には「健全な背徳感」ってあるけど、まさにそれ。そんなのデータでは絶対に抽出されない。
それにしても燕三条TSBBQのホットサンドメーカー欲しさが高すぎる。
まさか「データ」もブラックサンダーでホットサンドメーカーが欲しくなるなんて導き出せないよね。