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不調と不調和

こんなnoteは誰も読みたくないので、自分のために書いてる。というかここ最近はほとんどそうかもしれない。

noteさんが推奨する使い方とは真逆だ。みんなの役に立つもの、みんなをほっこりさせたり楽しませるもの、泣けたり、心の隙間を埋めたりできるもの、何か驚きとか発見があるもの。

そういうnoteを書いたほうがいいのだけど、いまはなかなか書けないことが多い。

技術的なスランプとかイップスってわけじゃない。文章を書くのにイップスがあるのかどうかわからないけど「それっぽい」ことは事象としてないわけじゃない。それはまた別の話。

トータルで不調だとしても、そこもまた別の話。それより視点を変えてみる。自分の不調は自分だけでつくってないという考え方。

たとえば。周囲がみんなダッシュして走りながら動いてる環境があって、その中で自分だけがゆっくり歩いたり立ち止まっていたら。

ぶつかったり、避けるためのストレスがかかったり、いろいろ不都合が生まれる。自分がその環境に合ってない。

環境とのズレが不調をつくる。不調というより不調和。じゃあ、どうするか。いまの自分の環境と調和というかシンクロするように変える。

ゆっくりな環境なら自分もゆっくりに。

不調にだけ目を向けてるとわからないけど、いまの自分の環境とちゃんとシンクロできてるかどうかって視点、案外忘れてるかもしれない。