ベーグル、横から切るか?縦から切るか?
こういうニュースに胸がときめく。
ドーナツの形をしていて横から切れ目を入れて具をはさむ、ニューヨークのソウルフード、ベーグルをめぐって、細く縦に切った写真がネット上に投稿されたところ、「犯罪行為だ」といった批判が相次ぎ、全米をあげた論争に発展しています。(NHK 国際ニュース)
大真面目な要素とふざけた要素が、なんともいえない感じに混じり合ったところから生まれる、おかしみと哀しみ。ほんと、こういう事象が好きすぎる。
というふうに書くと、人によってはなんだかすごく馬鹿にしている感じ、嘲笑してるみたいに思われてしまうかもしれないけどそうではない。
なぜ人は、どうでもいいようなことでも、ある種の「許せなさ」「ファンダメンタリズム」を発動してしまうことがあるのか。すごく真面目に考え込んでしまうぐらい好きなのだ。
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もちろん大多数の人は、ちゃんと「ネタ」や「祭り」としてベーグル論争に参加してるのだけど、このニュースに関しては必ずしもそういう人ばかりとは思えない何かがある。
中には、ベーグルが縦切りされた写真を観て「ほんとうに心の底から、ありえない!!!」と震えた人もいると思うのだ。その気持ちが、ちょっとだけ想像できてしまうのも不思議。ニューヨーカーでもないのに。
たしかに、実際にベーグルがサンドイッチ用の食パンみたいに縦に薄切りされた写真は、なんともいえない切なさが漂う。
べつに食べ物を粗末にしてるわけでもなく、新しい食べ方の発明、まさに「セントルイス・スタイル」かもしれないのに、どうして「なにか間違ってる感」が漂ってしまうのだろう。
ベーグルを縦に切るのは犯罪行為だという「通報」に対するニューヨーク市警察(NYPD)のツイートも、ちゃんととんちが効いていてうらやましい。
「市民からの通報に感謝します。しかし、ここはニューヨークです。このような事件は決して起こりません」
そうだろうな、と思う。
もし、東京で「東京ばな奈」を縦切りにしたり、「もんじゃ焼き」をカッチカチに固めて縦切りにして食べるスタイルが発見されて、誰かが「通報」したらどんなふうに応えてくれるのだろう。
控えめに言っても、通報した人が愉快な目に合わない未来しか見えない。この差って、なんなんだろう。また、そこで考え込んでしまうのだ。