そんなに面倒くさかったっけ人生って?
朝活とか婚活とか終活、いろんな人がなんとか活でカツカツ言ってる。
なぜかはわからないけど、そういう活動圏内に昔から入れないし入らない。
いや、すごく切実にやってる人もいるし、そういう人を否定したいわけじゃなくて。
ただ、あまりにも世の中に「なんとか活」が増えたのが純粋にふしぎで、あー、そういえば自分はそういうのないなあと考えてしまうのだ。
「活動」ってあえてしないと、ふつうに生きるだけで自分のキャパ超えしてるのだろうか。
昔はとくに考えないで自然の成り行きに任せてたことが、そんなのではダメ、ちゃんと意識して結果出るようにしないとみたいな圧もあるのかもしれない。
あるいは個人で考えるよりソーシャルな課題にすることで高いレベルで共有できることも増えるから? 強制力も働くので結果にコミットしやすい?
どれもそうだといえばそうだし、でもほんとにそうなのかなという気もする。
意識を言語化することで、それまでぼんやり漂ってたものがベクトルを持つようになる。
それはいいことなんだけど、みんながみんな「なんとか活」に無理に寄せる必要はないと思う。
何かの基準というか、こうしないとという枠が設定されると、本来自主的なベクトルだったのが急に窮屈になったりするのだ。
「活動」がしっくりこないのは、その気持ちとか中身じゃなくそこなのかも。
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