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Not Too Lateなものたちのために

ショップの中を流すように服を見ているとNorah Jonesの『Not Too Late』が流れてきた。そう言えば、Norah Jonesはずっと聴き続けてる。好き具合がずっといい意味で一定しているアーティストの一人だ。

それに比べると、高校生とかのときと違って服にかける情熱があまりなくなって (当たり前だけど) なんとなくいまの環境と気分に合ってればいいや的なものになってるけれど 、感じのいいショップを見て回るのは嫌いじゃない。

昔好きだったけど、最近行ってないなというブランドを発見するとなんだか自然に足が向いてしまって入ってしまう。

ショップの中には男の子のスタッフが一人だけ。

「らっさっせー」的な接客だったら速攻店を出るんだけどそんなこともなくて、というか彼は一瞬だけ静かに僕に微笑んで、自分の仕事をしている。

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わりと好きな感じの春物のコートが目についたので、手に取ろうとすると彼がいつの間にかやってきて、どうぞご試着できますよという。

試着できませんとか言われても困るんだけど、普通に試着させてもらう。悪くない。

僕の場合、試着しようとした時点で=購入なので、よほどおかしなことになってなければそのまま、 じゃあこれでとなる。

いつものように「じゃあこれで」と僕が言うと、ショップの彼は「え、このタイミングで?」という顔をする。

どうやら想定外だったらしい。そういう顔をされるとこっちもどうしていいかわからず、 しばらくふたりで微妙な空気を共有するはめになる。

彼も困ったのか、なぜか「他にもこういうお色がありますよ」と、色違いのものを僕に見せてくれる。 まあでも、彼も別に本気で他の色を薦めてるわけでもないので、 この色でいいよ、という。彼もホッとした表情だ。

彼がコートを折りたたんで包装するのを見ながら、彼はこの仕事が好きなんだろうな、と思う。 でも、好きの領域をまだ越えられてないのかもしれないとも思う。

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高校生の頃、よく行っていたショップには、僕が恐れていたお兄さんがいた。 そのお兄さんは、僕が気に入った服(主にアメリカの西海岸とかで買い付けてきた古着)を手にとっても

「その裏地は、なんとかという仕立て屋さんの特徴で、もうほとんど手に入らないんだよ」とか言って、 ほんとに惜しそうな表情をした。

僕は、わけもわからず買うのは、なんだか違うような気がして 結局、そのお兄さんからはほとんど服を買えなかった。 というか売ってもらえなかった。

それでも、そのショップに通うことをやめなかったのは、 そこにある、高校生の僕からは一見理不尽な宇宙に魅せられていたからだと思う。 そういうのって、スタッフがただ服が好きだというだけでは生成されない。

大人になったいまは少しわかる。好きなことをやるのは、そんなに難しいことじゃないけれど好きを越えるのは難しい。

「同じアルバムを、繰りかえし作りたくないの」と言うNorah Jonesの歌声を聴きながら、僕は、いったい何を越えてきたのだろうと思う。