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母の日を廃止した理由

母の日に花を贈るのはできれば控えて欲しい。ちょっと前に介護現場からのそんなツイートがバズってた。

もちろん花そのものや人の気持ちに罪はなくて、介護現場特有の現実的な理由からだ。その話は深く掘らないけど、そもそも母の日のギャップ問題はわりと前からあるし、母の日の習慣がアップデートされたという声も聞かない。

ある調査では「母の日にもらってリアルに嬉しいもの」のツートップは「言葉」「食事」だったのだけど、現実にもらったトップはやっぱり「花」。

なんだろう。このギャップになにかうまく言葉にされてないものが埋もれてる気がずっとしてる。

ええと、もちろんこういうのはめちゃくちゃ個人差があるので(当たり前)、花が直球でうれしい人だっているし、とくになにも思わない人だっています。

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といううちも、昔は花とかを贈ってた。主に妻の母のほうに。けど、あるときから妻とふたりで話してやめたのだ。というより母の日そのものを心の中で廃止した。僕の母親のほうには、もともと母の日習慣がなかったので、いまは基本的に「母の日だから何か」というのはない。

最初はプレゼントを選ぶのが新鮮な気持ちもあったかもしれない。けれど、だんだん「母の日だから何か贈らないと」という感じになってきたから。それって形式的だ。

そもそも「母の日だから何か」っておかしくないか。そうじゃなくて、うちでは普段から旅先とか何かの機会に「これいいじゃん」「これ好物だよね」というのを見つけたら(主に食べものだ)送ったりしてる。

そういう気持ちって、すごく単純で「楽しんでもらえたらいいな」だけ。感謝の気持ちとかそういうのでもなく、こっちも自然に贈りたいものを見つけて少し気分が上がってるし、相手もサプライズで気分が上がる。

いや、そんなの突然もらってもどうしていいかわからない。ちゃんと決まった日にわかりやすくもらいたいという人もいるのも知ってるけど、自分たちはそこに寄せるのは何か違う気がすると思ったのだ。

自分たちで決めた「なんとかの日」なら、そこに素直になれるけど、そうじゃないものに周りから押されるみたいに動きたくはない。わがままだと言われるかもしれないけど。

基本的には、自分が本当に気持ちが動いたときに何かするほうが無理がなくていいなと思うのだ。母の日に限らず「○○の日だから何かしないと」みたいな感じになるよりも。

くどいけど、世の中には「本当に母の日があるから素直に何か伝えられた」「愛がわかった」っていうケースもあるし、そういうのはそれでひとつのしあわせだと思う。

うちの場合は、そんなふうに「母の日」に対しては素直に感じられなかったというだけなので、それが正解だとも思ってません。

ただ、何のイベントに対しても、ナチュラルに乗れるならそれでいいし、何か無理を感じるなら違うところで代替してもいいんじゃないのかなというだけ。少数派なのは知ってるけど、どうなんだろう。