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もうひとりを感じられる人は、書ける人になる
基本的に書き手は孤独なもの。書いてるときは自分と向き合いながらだし、自分と向き合わないと何も始まらない。
もちろん、その暗闇みたいな孤独の中から自分の手で「何か」をつかむことは大事で、そこをお手軽にすっ飛ばして「他の誰か」がつかんだものの「一部分」とかを持って来て書くだけでは「自分の文章」は書けない。
方法論的、技術的にはそうやって誰かの一部を使ってちゃんと自分の文章を書くこともできるのだけど、それはまた別の次元の話。
で、基本的に書き手は孤独なんだけど、自分の手で「何か」をちゃんとつかめた人は孤独じゃなくなる現象がある。
なんだろう。書いてる自分とそこに「もうひとり」の誰かが現れて、そこから作品(あえてそう呼ぶけど)を一緒に創っていけるから。もちろん、その「もうひとり」は物理の存在ではないけど、ちゃんといる。
孤独なはずの書き手が「もうひとり」をちゃんと存在させることができたら、その人は「書ける人」になる。
という話をダイアログ・デザイナー嶋津さんのstand.fmの中でお話しする機会がありました。
それはある意味、新しい概念での「編集者」を持つことかもしれなくて、嶋津さんのnoteもすごく示唆に富んでるのでぜひ!
『東京嫌い』の編集の裏側もちょこっとお話ししながら「もうひとり」のことについても話してます。