意外な面が見えたときの分かれ道
人はいろんな顔というか一面を持っている。あたりまえすぎる話だ。
そこは誰もがそうだよねと同意すると思う。なんだけど、実際に自分が誰かの「知らない顔」を見たときに、案外「えっ」となったりする。思考と反応の不一致だ。
分人としてナチュラルにいろんな顔を使える人もいるし、ほぼ無意識で人間関係の面倒くさいのをこなすためにそうなる場合もある。そこはいろいろだ。
いろんな顔や一面があるのは悪いことでもすごいことでもなく、ただただそういうもの。
で思うのは、そういう知らない顔、意外な面を見たときに「どう受け取るか」、どっちに行くかでなんかいろいろ違ってくるんじゃないかということ。
たまに、誰かの自分が知らない顔や意外な一面を見たときに「そんなひとだと思ってなかった」と「嫌われ」とか「がったり」あるいは、自分にはその顔を見せてくれてなかった嫉妬みたいなものが発生する。らしい。
それって、よく考えたらおかしな話なんじゃないか。自分が知らないからとか関係なく、その人はその人。
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芸能人が何かやらかしてすっとみんなが離れていく、ファンやめるとも似ている。まあそれもその人の自由なんだけど、もったいないなと思う。
その人の一部を知ってる(と思い込んでる)だけなのに。どんな顔や一面があったってその人が持つ「何か」が本質的に変質するものでもないのに。
この前、ひらいみかさんがこんな記事を書かれていたけど、URLからIRLになったら余計に、その人のわかりやすい一面だけじゃなく、それもあれもあっての「その人」と付き合うことに意味が出てくるのかも。
IRLとは「In Real Life」の頭文字をとった略語で「現実の世界(リアル)」のこと。
知らない顔も、意外な一面を持ち寄って、そこでもあれこれ話が広がったり深まったりするのが楽しいんだと思うし。なんなら付き合いの長い自分のパートナーであっても、「え、そうだったの?」「なにそれ、取説にもなかったよ」というのがあると新鮮だしおもしろい。
知らない顔、意外な一面というとなんだかネガティブな文脈になりがちだけど、どんなことだってそれ自体に「意味」はない。
その意味付けをする人が、なんでも楽しむ方向なのか、自分が思ってたのと違ったら嫌だなのかで全然ちがってくるだけの話。分かれ道。
できれば、自分に対しても周りに対しても、意外なものも新しい発見も楽しみながらの方に歩いていたい。ひとつのわかりやすい世界に閉じてしまわずに。